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自分を客観的に曝け出したい

自分を曝け出す。すごく難しいです。

私は"いいかっこしい"なんです。
つまらないプライドを捨てられずに生きています。
「ありのままでいいんだよ」「気を使わなくていいんだよ」「もともと特別なオンリーワン」まぁそりゃね、そうなんだけどさ。

昔から、外面のよい、いわゆる優等生タイプだったと思います。
付き合いの長い友人以外からは、ほとんどいじられることがありません。
自分でも、自分の周りにATフィールドが張ってあるのがわかります。
張っているわけではないのですが、自動展開されているんです。

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別に曝け出さなくても、それはそれでいいんじゃない?

はい。そうなんですよね。
ただ、自分を曝け出している人って、すごく輝いて見えるんですよね。
ないものねだりなのかもしれませんが、憧れてしまうんです。
(もちろん、曝け出しているように演じていて、実は本心は全く別のところにある人もいるとは思います)

リアルでも、過去やっていたブログでも、mixiでもFacebookでも強がって取り繕ってしまう自分に嫌気がさすのですが、もうナチュラルにそれをやってしまっているのですよね。

そんな中、先日BGMで流していたこの曲が、とても素敵だなと改めて思ったので、紹介させていただきます。

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ハンバートハンバートの「まぶしい人」

動画はこちら。
https://youtu.be/b7lkmZNfNd8
ぜひ歌詞も合わせて聴いていただきたいです。
https://www.uta-net.com/song/269758/

「むかしぼくはみじめだった」というアルバムに収録されている曲です。
このアルバムは、吃音症を題材にした「ぼくのお日さま」で有名かもしれません。
ハンバートハンバートの中でも割と好きなアルバムでして、アルバムリリース当初から聴いています。
特にこの「まぶしい人」という曲は、聴くとゆっくりと首を締められているような、心が締め付けられるような、心地よさと居心地の悪さが同居しているような、なんとも言えない気持ちになります。(とても好き、ということです)
最近、改めて歌詞を意識しながら聴いて、良さを再認識することができました。

歌詞の掲載は控えますが、私の歌詞解釈は以下の通り。

君とぼく、特別仲がよかったわけはないものの、当時自信家だったぼくは、デキる君のことを「対等に渡り合える数少ない友人」とでも思っていたのでしょう。
しかし、月日を重ねるごとに、君は人間として成長していきます。
正当な努力を積んで、順当に、成長したのです。
そしておそらく、良くも悪くもぼくのことはなんとも思っていないのでしょう。

ぼくは違います。
大した努力もしていないので、あの頃からちっとも成長していません。

「あいつ、最近調子のってるよな」なんて友達と君の悪口で盛り上がるけど、一人になると自己嫌悪。
「あいつは人を押しのけて上がっていったんだ、俺はそんなひどいことはしないし、俺だってやればできるんだ…」と自分を慰めるも、ぼくだって知っている。
君はちゃんと努力していることを。

本当は、君に認められたい。
でも、そんなこと言えない。
できれば、君から寄り添ってきてほしい。
そうしたら、仲良くしてやるから。

なんという…救いようのない話なのでしょう。
この"ぼく"に、ある種の共感生羞恥を抱きながらも、この人間臭い、泥臭い心情を言葉として紡ぐことができる佐藤良成さんに、畏敬の念を禁じ得ませんでした。
さらにすごいと思うのがこの歌詞、ぼくがどうだ、君がどうだ、という評価は一切入らず、淡々とぼくの思いの吐露に終始しているんですよね。
自分の心の底の、どす黒い部分を、こんなにも淡々と、美しく描けるなんて。
そして、この曲が収載されたアルバムが「むかしぼくはみじめだった」だなんて、できすぎですよ。

家に籠る時間が多くなり、より自分を出す機会が少なくなったタイミングでこの曲の良さを再認識できたのは、自分にとってプラスになったと思います。
noteでは、できるだけ思ったことをそのままに、加工せずに綴ることを意識していきたいと思います。





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