見出し画像

自己紹介代わりの居場所物語 その⑤

昨年の10月から『自己紹介代わりの居場所物語』と題して書き綴っています。前回は子育て中の居場所についての導入部分を書きました。今回は実際に居場所となっていた活動について書いていきます。

※ここでいう『居場所』とは、単に通っていた場所というよりは、自分がここに居ていいんだと思える、安全・安心な『こころの居場所』を意味しています。

夫の仕事の関係で、地縁・血縁の全くない土地に転居し、慣れない育児に孤軍奮闘していた頃、手っ取り早く社会とつながる方法として仕事を探すことにしました。

見つかった仕事は、確かに子供の体調不良で急に仕事を休むことになっても、代わりの人にバトンタッチすることが可能で、小さい子供がいても働くことができる職場ではありましたが、その分県内各地を車で移動するような仕事で、いったん仕事に出てしまうと、終わりが見えないときもあって、急に保育園のお迎えを夫に頼んだり、その後の夕食の支度までお願いするような日々でした。

どんな仕事でも100%自分の希望に合うということは難しいと思いますが、あらかじめシフトを決められるから家族旅行等の予定もいれやすいというメリットがありつつも、長く働き続けるにはもう少し働く時間が安定している方が良いかなと思うようになっていきました。

結局、仕事は2年続けたところで辞めることにしたのですが、その仕事と平行して知り合いから紹介されたNPO法人の事務局の仕事がその後の居場所とになっていきました。

NPO法人の仕事を紹介してくれたのは、プロボノ活動のきっかけともなった市民研究員の仲間です。市民研究員の活動についてはこちらの記事に詳細を書いています。

NPO法人では、事務局と経理責任者として様々な活動を支える縁の下の力持ち的な業務を行っていました。中でも、学生から退職後のシニアの方まで参加したインターネット放送局は、いまのように誰でもYoutuberとなって動画配信するような時代ではなかった頃に、平日お昼の1時間ではありましたが、地域の話題を全世界にお届けするというコンセプトで、商店街のお店を紹介したり、地域で活動する団体を及びしてインタビューしたり、メンバーと日々楽しく活動していました。

いまもプロボノ活動を通じて知り合った、ひきこもりの当事者・経験者の居場所活動を行う団体のメンバーとして、地域とのつながりを作ることに尽力していますが、あの頃の経験を活かしていけたらと思っています。