見出し画像

ファシリテーターって何する人?(書籍「ファシリテーション・ベーシックス」より)

ファシリテーターという言葉は、会社の会議や研修、市民活動で使われる機会が多くなりました。でも、ファシリテーターの役割って何?と聞かれて答えられる人って、意外と少ないと思います。
よくある認識は、

ファシリテーター = 進行役と意見の集約係 という認識。

確かにファシリテーターが進行の声かけをし、意見をホワイトボードにまとめることもします。しかし、これだけではファシリテーションの本質を見誤ってしまいます。常にマイクを持つ人、ホワイトボードの前に立つ人がファシリテーターというわけではありません。

私は「ファミリービジネス専門のファシリテーター」という肩書きで、第三者として同族企業の会議を舞台に活動しています。自分の活動を説明するのによい定義はないかな、と関連本を漁っていたところ、日本ファシリテーション協会設立者の堀公俊氏の著書「ファシリテーション・ベーシックス」に書かれている説明が符に落ちたので、その内容をここでは紹介します。

※引用文中の( )内は私の補足です。

(ファシリテーターとは)一言でいえば、コンテンツではなくプロセスにリーダーシップを発揮しているのです。
私たちは、会議や研修といった人と人が関わる場に参加すると、そこで扱われている題材の”中身”に頭が占領されてしまいます。(中略)
これらをコンテンツ(内容)と呼びます。具体的には、意見、アイデア、知識、経験、思いなど、料理でいえば”素材”に当たるものです。(中略)
ところが、そうすると「どんなやり方で議論すればよいのか?」「この場で何を話し合うべきか?」「誰に話を振ればよいのか?」といった”進め方”への意識がおろそかになります。
これらをプロセス(過程)と呼びます。具体的には、進行、働きかけ、関係性、思考法、感情の扱いなどであり、料理でいえば”調理”にあたるものです。


例えば「肉じゃが」で考えてみましょう。コンテンツは玉ねぎ、ジャガイモ、人参、お肉、糸こんにゃくなど。コンテンツ(素材)は、誰から見ても同じものです。


では、肉じゃがの調理法(プロセス)は?

煮るという作業だけでも「ダシを取る/水だけで煮る/ダシも水も使わない」。お肉も「肉は先に炒める/一緒に煮る/最後に入れる」。10人いたら10通りの作り方がありますよね(クックパッドで「肉じゃが」と検索したら11,839レシピが登録されていました)。

プロセス(調理法)に正解も間違いもありません。作り手の経験、食べ手の事情(好き嫌いや年代)、時間的制約など無数の要因で成り立っています。作る人は、そうした要因を無意識のうちに組み合わせて、プロセスを選んでいます。また、コンテンツと違ってプロセスには、経験、好み、感情、関係者のパワーバランスなど、見えない要因が影響していることも、その特徴です。(例:子供は人参が嫌いでも、作り手の母親のほうが圧倒的にパワーが強いので人参がいつも入ってる、とかね)


引用を続けます。

ところが、全員に(コンテンツとプロセスの)両方を目配りさせるのは大変です。だったら、参加者がコンテンツに専念する代わりに、1人だけコンテンツから離れ、みんなのためにプロセスを考える人を置いておけばよい。それこそがファシリテーターです。
言い方を換えると、参加者が安心してコンテンツに集中できるよう、ファシリテーターがプロセス面でリーダーシップを発揮する。


ここで「全員に両方を目配りさせるのは大変」と書かれていますが、私の経験では大変というより、参加者はコンテンツに関心がある(あるいは業務として参加せねばならない)からその場にいるのであって、「自分は『プロセスに目配りするためにここに居る』とは思っていない」のです。


けれども、材料をそろえただけでは肉じゃがはできませんよね。「いま私たちが食べたい肉じゃが」のためにベストな作り方を選んで作らなければ、おいしい肉じゃがを食べる(話合いのゴールにたどり着く)ことはできないのです。


ここに、ファシリテーターの必要性があります。参加者全員がコンテンツだけに集中していては、肉じゃがは完成しない。ジャガイモや人参を転がしているだけでは、いつまで経っても肉じゃがにはならないのです。


皆さんにも経験があると思います。「この人がいると、なんとなく話し合いがうまく進む」という人の存在。会議が終わったあとの清々しい気持ち。みんなが納得している。集まって話して良かったなという感覚。おいしい肉じゃがをみんなで食べている感覚(笑)


それはきっと、誰かがコンテンツに集中せず、プロセスを意識していたからです。時間をさりげなく気にする。結論を急いで決めない。色んな意見を聞いてみる。出た意見を、整理する。


ファシリテーションという言葉が出るずっと昔から、そうした役割を自然と担っている人たちはいました。


そうした人たちがやっていることを体系化したものが、ファシリテーションと呼ばれる技術。見える化されたのがファシリテーターと呼ばれる存在なのだと思います。


堀氏の言葉を借りるなら


「1人だけコンテンツから離れ、みんなのためにプロセスを考える人」

それが、ファシリテーター。
「コンテンツから離れる」ということは、コンテンツを俯瞰できるということ。


「みんなのために」ということは、その場の全員を尊重しているということ。


それぞれファシリテーターとして大切な在り方ですが、それはまた別のところでお話しましょう。今日は、このあたりで失礼します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?