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トラス・アーキテクトが考える建築と教育

建築と教育は一体である と考えている。

教育というのは小学校や中学校の様な義務教育を指しているのではない。義務教育課程については、必要な知識だけはなく、人間形成に必要な学びの場であると考えられる。その時に必要なことはすべきである。しかし、義務教育を終えた後に、高等教育というものを学習する、その際には社会通念上の知識という普通科と言われる教育体制から専門教育まで多岐に分かれる。どこまでが社会通念上一般的な学習かは別な議論だとするが、社会に出た時に必要な要素である『働くこと』について学ぶ機会が非常に少なすぎる。少なすぎるというよりは『普通科』にとってはないに等しい。大学へ進学した場合にさらに高い教育を受ける訳だが、国家公務員や官僚を目指すのもいいだろう。しかし、多くの人は会社というものが何なのかわからず、『働くとこ』を知らずに一度入社して数年体験をして次の目標に向かい転職を繰り返す。

それが悪いわけではない。しかし、仕組み上勿体無いのである。私もかつて同じとこを経験して現在に至る。つまり、学習したが、社会の仕組みが何たるかわからず、一度つまらなくなる、そして転職を繰り返し、自分に合ったものを目指し始めた。そして、ある時に独立を志す。

この仕組みの中では、私自身が自分勝手に行動して目標を定め行動しており、会社や地域社会との関わりが完全に抜け落ちている。会社だけでなく、組織として行動する際に同様のことが言えるだろう。組織として教育を行い、育ってきた優秀な『人財』がいとも簡単にやめていく事だ。これに何か不自然なことを感じるようになった。

なぜ『教育』課程と『働くこと』つまり実社会が同じではないのだろうか。

『建築』においては社会との関わりをなくてしは成立しない。お墓のような記念碑を建てるのが仕事ではない。人が活動する場を建築している。それを理解できず、20代を過ごして貰うことがとてももったいないと感じる。

これまではこの時期は人生経験の時期とされており、所謂『今の若者は、、、』という言葉で片付けられてきた。

これは『建築』だけを切り取って話をしているがどんな業種でも同じであると思う。

今一度、教育と建築を一緒に考える事が必要と思う。


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