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#16『🎵翼をください。』

 抗がん剤治療から緩和ケアに移行してから、東京の叔母は嘘のように体調が良かったという。それは一時的なものであることに違いないのだが、残された時間をできるだけで平穏に過ごしてほしいと、親戚一同が願っていた。
 心のこもった音楽を届けようと、姉と私はピアノ連弾を録音。猛練習しているような時間は残されていない。超簡単アレンジ集のディズニー曲を選び、弾いては録音した音源を叔母のもとへメールで送った。ディズニーには叔母との楽しい思い出が詰まっている。その後、送られてきたのは、笑顔で語る叔母からのビデオレターであった。
 『あなた達のユニット名を、たんぽぽシスターズと命名します!』
こうして、ファミリーイベント限定『たんぽぽシスターズ』が結成された。
 『たんぽぽシスターズ結成の日』より、従姉妹が私達と叔母との架け橋をしてくれた。彼女が仕事で東京へ出張する際には、叔母の病室へPCを持ち込み、お互いの動画の送受信などを担ってくれたのだ。まさにファミリー間の連携プレイである。私は姉のところへ車を走らせ、『一曲でも多く送りたい』と、ピアノ連弾に励んだ。

 しかし、余命宣告の3ヶ月を過ぎた頃から、叔母は急激に具合が悪くなっていた。
『最期にもう一度だけ、故郷の景色が見たい。』
車椅子に乗せられ、家族の付き添いのもと東京から新幹線に乗り込んだ。特別車両で横になりながら、まさに『最後の力をふりしぼって』母に会いに来てくれたのだ。三女の叔母もすぐに駆けつけ、三姉妹がもう一度顔を合わせることができた。
 若い頃から美意識が高かった叔母は、こんな時でも綺麗にメイクをし、胸にはブローチを付けている。私はそんな叔母のために、華やかな赤いブーケを用意して出迎えた。叔母は昔から、赤のよく似合う凛とした女性だった。

 さて、いつもの部屋でファミリーコンサートが始まった。ベッドで横になっている叔母のために演奏するが、拙い『たんぽぽシスターズ』はレパートリーが少なく、すぐにネタ切れとなる。
『もっと、もっと。色々聴きたいわね・・・。』
そこでさっそうと登場した我が家の若きプレーヤー達。ピアノとトランペットのデュオで次々と皆のリクエストに応えていく。兄妹デュオの演奏が皆の関心をひいている間に、ベッドに横たわる叔母がそっと私を呼んだ。

『あの子達の演奏は素晴らしいよ。たんぽぽシスターズを越しちゃったね。将来が楽しみだね。たくさん演奏してくれてありがとう。』

 叔母の涙を見た私は、もう堪えきれず一緒に泣いてしまった。その後もファミリーコンサートは続き、最後の一曲は叔母のリクエストで締めくくった。
 その日、叔母は付き添いの家族と共に、湖の見えるホテルの最上階で一夜を過ごした。大好きな故郷の風景を目に焼き付けながら。
 
 翌日、地元の教会の日曜礼拝に母ら三姉妹を連れて行った。叔母は礼拝堂で静かに目を閉じながら、ゆったりと故郷のぬくもりを感じていたようだ。
 礼拝が終わり、東京へ戻る叔母をみんなで見送る時が来た。最寄り駅に着くと、構内には可愛くペイントされた『駅ピアノ』が据えられている。ここに『駅ピアノ』があるらしいとの噂はきいたことがあったが、何せ利用者の少ない田舎の寂れた駅である。誰かが弾いている場面に遭遇したことなど一度もなく、だからと言って自分が弾いてみる勇気もない。そんな時である。
 『〇〇ちゃんのために弾いてみようかな。🎵エリーゼのために、楽譜を持ってないけど弾けるかな。』
車椅子から降り、妹との別れの前に公衆の面前で『駅ピアノ』を弾こうとする様子に、80歳を過ぎた母の、長女としての強さと思いやりを感じた。これが叔母との最後になるかもしれない。右手のメロディが始まると、叔母はゆっくりと車椅子を押されて改札を通過した。ひっそりとした駅構内に、母の弾く『🎵エリーゼのために』が響き渡る。私達は姿が見えなくなるまで見送ったが、叔母はもう一度も振り返らなかった。

 その約1週間後、叔母は天に召された。天国では祖父母が優しく迎えてくれているはずだ。あの日、あの部屋で、叔母が自ら最後にリクエストした曲は、今でも私たちのテーマソングとなっている。もっと生きたいという叔母の願いが叶うならば、叶えてあげたかった。
 東京での告別式には、三女の叔母が代表して参列してくれた。東京へ出向くことができなかった私達親戚一同は、その夜いつもの部屋に集まると、それぞれの得意な楽器を手にし、告別式の開始時間に合わせて合奏の準備をしていた。

 母が天国の叔母に静かに語りかける。震える声で静かにタイトルコールした。
『・・・今までありがとう。心を込めてみんなで演奏します。翼をください・・・天国から聴いてね。』

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