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「大切にしたい自分のユニークさって何だろうか?」#012

「わたしたちはみな、それぞれ
ユニークなひびわれを持っています。
わたしたちひとりひとりが
ひびわれ壺なのです。」
(「ひびわれ壺」菅原裕子訳)

  私の妻は助産師。長男が小学二年生になった時、助産師会でも行っている「命の授業」をしたいといって、校長先生に掛け合い、見事夢を一つ実現させた。我が子だけでなく、5クラスあった二年生全員に授業をした。

 この授業の目的は、命の大切さを学ぶことを通じて、自分って凄い、尊い存在なんだということを改めて確認し、子供たちの自己肯定感を高めること。この絵本は、その授業で朗読されたものだ。

 元々はインドの民話。完璧な壺とひび割れ壺の話。水汲み人が、天秤棒の両端にこれらの壺を括り付けて水を運ぶ。完璧な壺は漏らすことなく、きちんとその機能を果たし誇らしげ。一方、ひびわれ壺は、いっぱい入れても、ご主人の家に着く頃には水が漏れて半分になってしまう。ひび割れ壺は、「本来の目的を半分しか達成できない」と嘆く。

 2年がすぎ、ひびわれ壺は、「自分が恥ずかしい。すまないと思っている」と主人に話す。主人が努力しても半分しか水を運ぶことができないからだ。主人は、ひびわれ壺を気の毒に思い「家に帰る途中、道端に咲いている花を見てごらん」という。
 なんと、ひびわれ壺が通る道端の片側だけに、美しい花が連なっているのだ。主人は、こぼれ落ちる水に気がついて、片側に花の種を撒いた。そして、毎日、ひびわれ壺は、小川から帰る途中に水をまいてくれていたのだ。その花は主人の食卓を飾り続けていた。「君が、あるがままの君じゃななかったら、この美しさで家を飾ることはできなかったんだよ」。

 ひびを「欠点」として捉えるのではなく、一つの「ユニークさ」として捉えて活かす。素敵な話だ。私もついつい、ひびを「欠点」として捉えて、責めてしまうことがある。
 「問題はひびではなく、そのひびが与えられた使命に感謝しないこと」と菅原氏はいう。自分のユニークさ、子供、仲間、チーム・組織のユニークさ。目標達成に向けて、前向きに、それを活かしていこうと思う。

(更新:2023.11.25)


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