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Connecting the dots⑥そしてカリフォルニアへ

私は英語を幼い頃から習っていたわけではないし
家族で海外旅行なんて行ったことありませんでしたが
中学から学び始めた英語に魅了され
「留学したい!」というのが長年の夢でした。
それを叶えたのが大学4年生の9月。


絶対行くと決めていた

交換留学には、絶対行くと決めていました。
留学を実現するために
留学制度があり、奨学金制度がある大学を選んで入った
といっても過言ではありません。
振り返って見ると
未来逆算思考や意図設定を
知らず知らずにやっていたのですね、私。

本当は高校時代に
一ヶ月のホームステイや
一年間の交換留学をしたくて
親にも相談しましたが
「うちには、そんなお金ありません!」と言われ
しゅーーーん、と落ち込んでいました。

凹む娘を見かねたのか、
返済不要の奨学金制度を使って留学できる大学を
見つけてきてくれたのは母です。
母にはとても感謝しています。

渡航直前にテロが

そして。
学内選抜を通過し
留学先の手続きも済ませ
VISAも取得し
フライトチケットも準備して
後は、「行くだけ!」
という時に起きたのが
2021年9月11日NY同時多発テロ事件でした。

はっきりした日付は覚えていないですが
フライト予定日は
9月13日とか15日だったはず。

自宅のテレビ画面で、
飛行機がNYの高層ビルに突っ込む映像を見て
もちろんショックを受けるのだけれど
とてもとても現実に起こっていることとは思えない。
映画の中で起きている出来事のような現実感のなさを
覚えています。
全米の空港は封鎖され
フライトもキャンセル。

「どうしよう!?
ずっと夢に見ていた留学がやっと実現するタイミングが来たのに。」

ハラハラしながら待ちましたが
数日後には空港もオープンし
チケットも取れたので
一週間ほど遅れて渡米しました。

超を5回くらい重ねてもまだ足りないくらい心配性の母は
「テロが起きたのに大丈夫なの?」
「ホントに行くの?」
と心配のあまり多少やつれていた気がします。

「絶対行く」と決めていた私は
「もう既に起きてしまったのだから
きっと次のテロはないだろう
米国は威信をかけてテロ対策するはず」
と根拠がない謎の確信と自信と共に
一人ロサンゼルスへと旅だったのでした。

母も最後には
「どうせ反対しても、あなたは行くんでしょ」
と諦めの声と共に、私を送り出してくれました。

What a Small World!

大学生になってから
イギリス・中国・メキシコに
語学研修や旅行に行きましたが
単身で海外に行くというのは
実はこの時が初めてでした。

まだスマホもなくLINEもなく
Uberなんてサービスも、もちろんない時代でした。

ロサンゼルス国際空港に
小さなスーツケース1つで降り立ち
乗り合いタクシーを待っている時に
白人男性と何気なく会話を始めたのは
まだ覚えています。

その方が、なんと
私の日本の指導教官のことを知っていると判明!
その方も私の指導教官も
メキシコの研究をしている方だったのです。

What a Small World!
世界は何て小さいの!
こんなところでご縁がつながるとは♥

その方とは
空港でたった10分程度会話したのみで
その後の彼の人生と私の人生は
(今のところは)交差していないですが、

一人で不安を抱えていた私に
アメリカがプレゼントしてくれた
粋なWelcome Giftでした。

平穏な空気が流れていたキャンパス

約1年滞在する大学は
ロサンゼルス国際空港から車で1時間半ほど南下した
オレンジ・カウンティというところにありました。

おそらく当時日本にいたら
アメリカから流れてくるニュースは
テロ関連のものだけ
だったのではと思います。
フリーウェイを走る車の多くが
星条旗を飾っていたのは
テロの影響だとは思いましたが
キャンパス内はいたって平和でした。

日本の大学とは比べものにならない大きなキャンパス

滞在する寮から授業のある講義棟や図書館までは
徒歩15分。
キャンパスには
カリフォルニア名物ハンバーガーショップの
In'N'Outあり
徒歩圏内にスーパーもあり
整備されて便利

画像はこちらからお借りしました。https://www.in-n-out.com/menu

親から離れた初めての一人暮らし。
ルームメイトは
カンボジア系アメリカ人の美人さん。
幸先の良い留学生活スタートでした。

が、
燃え尽き症候群になってしまうのですよね、私。

それでは次のNoteでお会いしましょう!



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