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浮き沈みが激しい人の人生は船旅に似ている

最近、宋世羅の動画にハマっている。
その中でも「生まれつき」浮き沈みが激しい人の話、という動画面白く、気づいたところがあるので書いてみる。

世の中には、人生浮き沈みがある人とない人がいる。浮き沈みのあるある人は、転職を繰り返して、一つの仕事や会社で一生を続けることができない。一方、一つの会社で勤め上げ、あまり浮き沈みのない人生を送る人もいる。今までの日本社会では、後者の生き方がよしとされ、理想とされてきた。
宋世羅氏によると、浮き沈みがある人は生まれつき決まっているとのことだ。自分ではコントロールできないのだそうだ。

実際、私は浮き沈みの激しい人生を送ってきた。常に安定を求めて働くのだが、自分の甲斐性のなしか、理由は分からないが、とにかく長く続くことはなかった。私はうまれつき浮き沈みの激しいタイプなのだろう。

人生のブランクは何のため?

宋世羅氏によると、生まれつき浮き沈みの激しい人生の人は、ブランク期間が必ずあるという。では、このブランクは役に立っているのだろうか、または単に無駄な期間なのだろうか。

私の考えでは、これは必要な時間なのではないかと思う。自分の浮き沈みの多い人生を振り替えてみると、この転職の繰り返しは、船で旅をするパターンに似ているのではないかと思えてきた。

浮き沈みの激しい人の人生パターンは二つの状態に分かれるのだ。一つは、船で航海している状態。ここでいう船はむしろヨットのようなものだと思ってほしい。周囲の風に対応し、帆を張り、何とか進んでいく。目的地はあまり明確ではなく、漠然としている。進んでいるときは天気が良ければ爽快だ。そして、もう一つの状態は、寄港している状態だ。これは、目的地についたり、嵐で流されて仕方なく遭難した場所のことだ。この寄港の状態のときは、傷ついた船体を直したり、船体をバージョンアップしたり、積み荷を積んだり、次の目的地を定めたりと、航行する状態とはまるで違う状態に陥る。この状態は、人生ではブランクと呼ばれるのであろう。しかし、船で航海する者にとって、寄港での作業は、必要不可欠なものだ。

浮き沈みの激しい人にとっては、ブランクも必要な状態であり、それは次への航海への一休み期間である。たまには、オデュッセウスのように美しい女神の洞穴で長居をしてしまうこともあるだろう。だが、浮き沈みの激しい人は必ず次の旅に出かける運命にあるのだから、いつかは馴染んだ場所を去ることになってしまう。

世の中ではネガティブに捉えられるブランク期間ではある。しかし、浮き沈みの激しい人にとってはそれを寄港の状態として捉えることで、むしろ積極的に人生をとらえられるのではないかと思う。

この考えに至ったのは、「ファー:ローン・セイルズ」というゲームをやっていた時だ。このゲームは、一人で帆付の機関車を操縦し、大地を旅するゲームだ。燃料を拾いながら進む。途中にはいくつかの拠点があり、パズルを解くことで、扉が開かれ、機関車を次の目的地に向かうことができるようになる。風を受けて、順調に進んだり、嵐や火山噴火に出会ったり、拠点でパズルを解けなくて滞ったりと、まるで自分の人生のようだ。楽しいのでお勧めする。



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