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バクは悪夢を食べ僕は情報を飲む

ラーメンが1杯1000円を超える時代、どれだけ豪勢な素材を使っていても、某グルメ漫画のようには感動しえない舌でありながら、情報をありがたがり、舌よりも頭をありがたがって食べる人の割合は案外高い気がする。

一昔前に、ハンディキャップを抱えたクラシックの作曲者が実はゴーストライターを使っていた上で、ハンディキャップも詐病であったみたいな話があったが、あれも糖衣で固めた薬剤のように表面の甘みだけを過度にアピールした結果であるように思う。

他人事で上から目線で語るわけではない。自分とて流されてくる情報を鵜呑みにして思考停止になっていることがある。戦争のニュースや近隣諸国との軋轢だって、一方からの情報で気分を害するなんてのも珍しくはない。

情報の吟味には時間が掛かるし、判断基準を増やせば当然さらに時間は増える。選挙に行かない人を非難するけれど、行く人だって全てのは人が、候補者の思想背景やら主張を読み込んで判断しているわけではないだろう。


ラーメンの素材がなんであれ、食べて自分の舌にあうかどうかを判断するのは己である。何件も食べ歩いてはレポートさせられる芸人の舌を信じるのも、千差万別であるはじの嗜好を、真実は常に一つと少年探偵の概念みたいに述べるフードライターの洗脳に従うのもしっくりこない。

それだけ今も昔も、人を誘導しようという宣伝は多いし、それが商売に繋がるからメディアは金を出して洗脳を続けるのだろう。悪夢のような話だが、その悪夢は個人的な悪夢でしかない。こんな時代がとか、メディアがとまとめてしまいたくなるが、それだって差異は大きい。

嚥下した情報が腑に落ちぬ違和感にこそ、自分がどう考えて何を思うのかというフィルターがあるのだろう。面倒ではあるが、情報と思考の濾過装置は必要なのだろうな。

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