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憎しみの持続時間

比較的、ぬるい家庭で、それなり以上に大切にされて育った。母は若干の左翼的な思想で、父もそれなりにリベラルで、戦争帰りの祖父と気分屋だけれど、甘やかしがちな祖母と、躁鬱ぎみな姉との簡易なサザエさんのような環境で育った。

だから、ワガママに育ちはしても、積極的に人を害そうとは思わないし、それによって近親者に迷惑や村八分にされたりという実害が怒ることを考えると、なかなか故人の憎しみをなんらかの形で昇華しようとはならないのだ。

ただ、人間というのはどれだけ理性的であるつもりでも、舞台が整ってしまえば、思いもしないような行動に出てしまうから、自分がそうならないという保証などない。

普段から世界への憎しみや怒りをつのらせている人は、その悪意も増幅しやすいのかもしらん。自分は瞬間的な憤りは感じても、それを長く持続させることができない。おそらくは、それは私が両親から大事にされてきたからだろう。

愛されることは当たり前でなく、血が繋がっているからの憎しみや怒り、呪いのような嫌悪感を抱いてしまうことすらあるのだと友人は話していた。

だから、無敵の人という言葉は敵がいないのではなくて、味方がいなくて追い詰められていった、憎悪を増幅させて孤独になっていったのか。

現実に、映画や漫画みたいな生来の悪なんてほとんどいないのだろう。地味で特徴のない目立たない奴が凶悪な事件を引き起こすなんて珍しくもない。

種火となる怒りや憎悪が、長く持続させないで良かった私は、めでたい奴だが幸運だった。自分ではどうしようもない怒りの波に翻弄されなくて済んだし、流れて行かないように縄を結んでくれた人たちがいたのだから。

憎しみや怒りは、できるだけ短い時間で終わらせたい。そうさせてくれるような、ぬるい社会であればと願う。

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