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近代史の分かりにくさの理由を図解

近代史の魅力に気づくための地政学の役割

子供たちの教育を考える中で、「なぜ多くの人々が近代史を難しく、魅力を感じにくいと感じるのか」という疑問に思い至りました。これは、ひょっとすると地政学を学びそびれているからではないでしょうか。この疑問に対するヒントは、意外な場面で得られました。

ある朝、次女の塾へお弁当を届けに行ったときのことです。塾の社会科の先生との雑談から、「地理には地形と産業がある」という一言がきっかけで、地理と歴史の関係性について深く考え始めました。そして、その先生と共に、地理の地形と歴史の事件がどう結びついているのか、対比表を作成してみると、興味深い関係が浮き彫りになりました。その表は、私が長年抱えていた「明治維新以降の歴史のつまらなさ」に対する疑問を解決する鍵にもなりました。


地理と歴史の関係

江戸時代までの日本史は、ほぼ偉人と日本の地形で説明できた。

この図には、地理分野と歴史分野を上下に配置し、それぞれの時代ごとに対比させる形で記されています。例えば、地形と偉人が歴史の流れにどう影響を及ぼしてきたかを近世まで遡ってみると、人間の営みが自然の力に大きく左右されていた時代の物語が見えてきます。京都を中心とした文化の広がりや、開墾技術の進展が国力と直結していたのです。

平安時代から鎌倉、室町時代を経て、天皇からの地位や領土の獲得を巡る権力争いが歴史を動かしていきました。これらの出来事は、私たちに馴染み深い日本国内で起こっており、関東や関西といった身近な地域の話が中心でした。しかし、近代に入ると、こうした直接的な関連性は薄れていきます。

近代になると、国外の地政学に、日本は翻弄される

近代に至ると、産業革命によって科学技術が飛躍的に進歩し、自然を凌ぐ国家の力が台頭します。それはまず欧米で起こり、日本は明治維新を迎えて突如、列強として現れた西洋諸国に直面しました。ここで、地形や国内の産業ではなく、世界を巻き込む列強国の動向が歴史を形作るようになります。

明治政府が行った様々な政策は、実は日本を列強の侵略から守るために、急速に国家体制を整えるためのものでした。この変革の速度は極めて速く、明治維新から日露戦争の勝利までわずか38年間であり、第一次世界大戦までの時期は、いわば日本にとっての「ボーナスタイム」でした。しかしその後、日本は徐々に列強による経済的、軍事的圧力を感じ始め、困難な時代を迎えることになります。

地政学を小学校で少しは知るとよい?

このような変化は、国内の地理や歴史だけでは理解しづらく、むしろ国際的な地政学や、産業革命を中心とした科学史の知識が必要になってくるのです。列強に翻弄されながらも、その波にしがみついていた日本の姿を、これらの視点から見ることで、近代史の理解が深まるというのが、私が新たに得た洞察です。

現代史に目を向けると、国際連合や各種国際機関が主導するより平和的な世界が登場しますが、そこには大戦以降の企業活動の影響が見受けられます。企業による環境問題などが新たな歴史のテーマとして浮かび上がり、法律による規制がその調節役を果たしています。これらのテーマはテレビのニュースなどを通じて、私たちの生活と直結しているため、理解しやすいのです。

近代史の学びに苦労するのは、私たちがその「実際の中心」から離れてしまっているからかもしれません。地政学や科学史という新たな学びが、その鍵を握っていると私は考えています。このように、歴史と地理の関係性を理解することで、私たちは近代史を新たな視点から捉え直し、その魅力に気づくことができるでしょう。

さて、ではそんな「地政学をざっくり学ぶには???」→ゲームがよいのでは?(笑)


再掲

実はこの記事は、5年前に書いた記事のほぼリライト

実はこの記事、5年前の憲法記念日に「はてなブログ」に書いたものを、ChatGPTにリライトしてもらいました。元の記事と、この記事、どちらの方が「読んだ人の心にくる」のかなぁ? と思いつつ・・・(読みやすいのはChatGPTによるものかと思いますが)
↓元の記事
https://ti.hatenadiary.com/entry/2019/05/03/200404

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