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自動車開発の思い出 その6

ドイツと米国でデータ取りのテスト走行を実施。
ずいぶん昔ですが、私が在籍していたそのチームはメーカーの将来を左右する旗艦となる車の品質向上が至上課題でした。
国内はもとより、アウトバーンのあるドイツと、テストコースを間借りしている米国への出張が決まりました。

「左からは絶対抜いてはいけない」という鉄の掟のあるアウトバーン

国内外の自動車を細部に渡り測定したり、走行して評価する。それを日本人、ドイツ人と米国人で同じ内容をやってお国柄の違いも含めて評価する。
そして、それを写真も交えて資料を作り、役員に配布して説明、「他車はこうしている、「ウチはここが劣っているから、そう改善すべき」等と品質を向上させるのがチームの命題。
海外も含めた出張・滞在費やテスト車両のリースや購入が一体どの位かかったのかは分かりませんが、億の一桁では足りない金額のプロジェクトでしょう。
昔の話なのでもう大丈夫でしょう。一つ実績を挙げれば、今は軽自動車でも当たり前になっていますが、車のフロントドア後端とリアドア前端には隙間があります。当時はその隙間(矢印)から車体側が見えていました、それでは高級感が出ない。他社ではリアドア前端がフロントドアに干渉(接触)しないようにプレスされて、オーバーラップさせているから見えません。
それを役員に指摘して、実際に改善されました。

リアドア前端をオーバーラップさせると車体側が見えない

守秘義務がありますから、詳しくは書けませんが実に様々な測定や評価をしていました。ですから、残業禁止日以外はほとんど残業をしていました。
海外出張時、計測機器は日本から持ち込みます。その国に持ち込むけれど、持ち帰るので関税の申請から除外される、カルネ申請というのをしました。
最初の出張は西ドイツ’(当時)。
今の世界情勢では、再びロシア(ソ連)上空は飛行出来ませんが、当時は鉄のカーテンと言われる冷戦時代。およそ50代位以上しか知らないと思いますが、ソ連の上空を飛べば撃ち落とされかねない、というか撃ち落とされるので、北回りで米国のアンカレッジ経由で北極の上を飛びヨーロッパに行くか、南回りで地中海方面からヨーロッパに行くしかありませんでした。北回りで行きましたが、デュッセルドルフ空港まで、アンカレッジ経由で確か18時間位かかったと思います。
北極の上空はまさしく雪の大地(地面はありませんが)真っ白い北極圏を見ながら飛びます。「もし、ここに不時着したら、生きては返れないな」高所恐怖症の私ですが、飛行機は大丈夫なのです。
出張だからスーツ着用。座席はYクラスではなくビジネスクラスです。
もちろん、酒類も提供されますが、そこは節度を持ってほどほどに、仕事ですからね。
当時はビジネスクラスに乗っているのは、若くても中年。20代でそのクラスに乗る事はまずありませんでした。スチュワーデス(キャビンアテンダント)が珍しそうにしていました。
夜中に空港に到着。サンドウィッチが置いてあったのを覚えています。でも何となく食べる気がしなかった。
空港には駐在員が迎えに来てくれていました。私は初見ですが、チームの中には面識がある人がいて、そこはスムーズに事が進みました。
まだ20代、初めてのドイツ、初めてのビジネスクラスでした。そして、実はオートバイの姉妹クラブがドイツにあるので、その連絡先を持って行きました。その後、その会長とは何度も会い、新婚旅行でもお宅に宿泊して、今でも連絡を取り合っています。
マジ軽ナットはドイツにもサンプルを送っています。説明は英語、おそらく電源を使わずに除電して乗り物の性能を向上させる特許は、おそらく世界初。英文の説明書を読んでもよく分からない、でも乗れば分かる。
除電は万国共通なのです。

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