チェルノブイリ日記 12 ~ セントラルパークを歩く
チェルノブイリの優雅な朝
チェルノブイリ滞在2日目、初めて迎える朝です。ガイドと同じ部屋で迎えた朝なのですよ。
やや遅め……8時前に目を覚まし、昨夜の食堂へ向かいました。
うぅーん、食べなきゃいけないのですがですが、どうにも口に合わないのです。早くも故郷の食事が恋しくなります。
やはり食べ切ることは出来ませんでした。ごめんなさいね……。
※ この記事はトリップウォーカーに掲載していた「チェルノブイリ日記」を書き直したものです。有料の設定にしていますが、全て無料で読めます。読み終わって面白かったと思われましたら投げ銭として購入の手続きを行って下されば幸いです。
食堂を出てセントラルパークを散歩することにしました。
昨夜は暗くてよく分からなかった天使の像です。手前に何やら書かれているようですね。
読めない……。
改めて、ラッパを吹く巨大な天使の像です。向きにも意味があったりするんでしょうかね。向いている先に原発があるとか……。
昨夜は暗くて全く分かりませんでしたが、よく見ますと顔があるのですね。ちょっと怖いです。
足元に何やらステージのようなものがありますね。これは……立ち入り禁止区域の形ですね、恐らく。写真の左側が南だと思います。点々と並べられた何かは村の位置かなぁ?
住めなくなった村を数える
何やら墓標のようなものが立ち並んでいる道が現れました。何でしょう。原発事故で亡くなった人の名前……?
ガイドに聞きますと、人の名前ではなくて村の名前ということでした。原発事故で住めなくなってしまった村の名前がそれぞれ記されているそうです。
裏側は黒地になっています。チェルノブイリツアーを催行されているサイトによりますと
白は部分移住の村を、黒は完全移住の村を意味しています。
とのことです。
「数えながら歩こう」とガイドに言われましたが、途中で嫌になって数えるのを止めてしまいました。
立ち入り禁止区域となってしまったところには何十もの村があり、何千か何万の人々の生活があったのです。出て行けと突然言われ、どこかに移動させられ、そこから定住の地へ辿り着けたのか。仕事はあったのか。
セントラルパークには色々な物がある
昨夜は気が付かなかったのですが、セントラルパークには色々なモニュメントが置かれています。これは何でしょう? まるで分かりません。
これは郵便ポストだったと思います。投函する方……だったはずです。うろ覚え。
こちらが受ける方だったかなぁ? どうして公園の真ん中に? 先のサイトによりますと
郵便広場と云うゾーン内の村の住人宛の手紙を伝言板のように受け取れる展示物
とのことでした。立ち入り禁止区域で働く人のための実用的なポストというわけではないようですね。
ところで原発事故が発生して住人は強制的に立ち退かされましたが、それを拒否して住み続けている人は少なからずいらっしゃいます。希望すれば会わせて貰えます。私は言葉が全く分かりませんので会いませんでした。先の「ゾーン内の村の住人宛の手紙」とは実際に住み続けている人のことを指しているのか……それはないか。
女性の像。
これは……?
昨夜も見ました記念植樹でした。訪れたのが2013年10月ですので、まだまだ細い木だったのね。この記事を書いています2022年10月はどれほど成長しているのかなぁ。
この方は……レーニンさんですね。何をされた人なのかは私も詳しく説明が出来ませんので検索して頂くとして、かつてはレーニン像があちこちに、それこそ何千何万という数で建てられたそうですが、近年は破壊されていっています。ここは立ち入り禁止区域ですので放置されているということなのですね。
「Hirosima」と書かれたモニュメントがありました。
「Fukusima」も。Hirosimaは広島県、1945年の原子爆弾です。Fukusimaは福島県、2011年の原発事故です。長崎県は?
この地図は……あぁ、文字を読めたらなぁ。原発事故の後に作られた地図なのでしょうか。色が濃い箇所は村の位置かなぁ。
朝からお宅訪問
ところでセントラルパークの周りには建物がいくつも見受けられました。このあたりもかつては多くの人が住んでいらしたようで、民家が点在しているということです。
家を見て回ろうということで朝からお宅訪問ということになりました。
ですよねー。
四半世紀以上も放置されていればそりゃ植物に呑まれもしますよね。
圧倒的植物。
可愛らしい平屋の建物……だったのでしょうけど。崩壊せず建ち続けているのは良い家なのか。
植物に触れるのが苦手なので極力近付きたくはないのですが、好奇心が勝ってしまいます。
青く塗られた窓枠。可愛いおうち。
ここは車庫かなぁ。
うはぁー。植物に呑まれつつある家。住まいと植物を完全に分離したい私は自分の家がこのようになったら余裕で狂えそうです。
原発事故が発生したときはソビエト連邦でしたので、土地も家も国家の所有物ということだったのかなぁ? それでもまぁ自分の家、自分の使える土地ということだったんでしょうけど、どこまでが自分の土地という線引きがなさそうに思えますよね。
ここだけ見ますと日本の山奥っぽい?
あれ、写真を眺めていて気が付いたのですが煙突から煙が出ていますね? 誰か住んでたのかな?
崩壊した家と謎の机。どういうことなの。どうしてここに机が置かれているの。毎日ここへやって来て机に向かって家が崩壊する様子を観察し、ノートに書き留めていたなんてことは……ないですよね。
緑が可愛い家。派手に崩壊している家とそうでない家の違いは何なのでしょうね。築年数? 工法?
この家は比較的綺麗な状態に思えますね。
外国の人って軒先に椅子を出してくつろぐのが好きというイメージがありますね。ここは家の軒先ですが、国によっては普通に人が通行する道でも椅子を出してくつろいでいたりしますよね。
……入るの!?
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