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あたたかくない光(往復書簡16)


このnoteは雨宮真由、斎藤見咲子、坂中真魚による公開書簡シリーズの16通目です。テーマは「照明」です。

明るいのが好きです。だから照明が好き。
でも明るいのはさみしい。
そんな感じのことを書いていきます。

以下は前回のお手紙からの引用です。

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私はもともと青色が好きで、冬のイルミネーションも青いLEDを使ってるものとか見るのが好きです。実際青いイルミネーションってよくあるし人気な気がします。でもそれってよく考えてみるとなんか不思議じゃないですか?

白熱灯がいい例ですが、照明というのは熱をともなっています。LEDもまったく発熱しないわけじゃない。さらに言えば白熱灯は見た目にも赤みのある暖かい色をしています。
光ってそもそも、そういう感じにどちらかというと温度としては冷たさより温かさに近いイメージをともなっている気がします。……冬の冷え冷えとした街で見るなら、そういう暖色の方がよくありません?
                
                以上、前回の雨宮さんのお手紙から引用

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イルミネーションのLEDに青が多いのは、なんか雪っぽくて冬に合うからでしょうか。
青いLEDの実現は難しいと言われていたらしく、 
その実用を可能にした日本人がノーベル賞をとったからという理由もありそうです。

寒いんだから暖かい色にすればいいのに、という雨宮さんの意見はわかる気がします。
非常に個人的な意見を言うならば、寒いときに暖かそうな色を見るとすごくさみしくなってしまいます。冷たそうなものを見ているほうがさみしくないです。

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斎藤から坂中さんへ

照明について、最近「なるほど~」と思ったことがあります。
それは玄関の明かりのスイッチです。

うちの玄関には明かりのスイッチがありますが、
部屋の中央あたりにも玄関の明かりを操作できるスイッチがあります。
なんでふたつあるんだろう、いっこでよくない? と思っていたのですが、
やっぱりふたつあったほうが便利でした。
暗くなってから帰ってきたときは玄関でスイッチをつけないと暗くて部屋の中央までたどりつけないし、
部屋の中にいて玄関の明かりをつけたいときは部屋の中央のスイッチを使うほうが楽なのです。

考えられている……!!!!

たぶんこれ当たり前のことですが、なんか感動したのでお伝えしました。
人間の生活、いつまでたっても慣れません。

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あたたかそうな光を見るとさみしくなるのは、
そこにあるものが自分には手の届かないものに感じられるからかもしれません。
自分は寒いところにいて、あたたかいものを求めているけれど、
照明はそこまであたたかくしてくれない。
火はちゃんとあたたくしてくれるけど、
照明の光はただ照らすばかりです。
街の明かりは人々の生活を想起させますが、
なぜか自分という存在はそこから零れ落ちているような気がします。
感傷的になりすぎているきらいがありますが。

街の明かりについての短歌を私はいくつか詠んでいます。
私にとっての明かりは「助けになるもの」でもあるし、
「さみしさを増幅させるもの」でもあります。

負けたまま夜の車道を見ているとにじんでマジのきらめきが来る
/斎藤見咲子 連作「マジのきらめき」より
掲載書籍:『ヒドゥン・オーサーズ』惑星と口笛ブックス
暗い窓の向こうの集合住宅の明るい宇宙が迎えに来てくれ
/斎藤見咲子 連作「まぶしい夜の逃走術」より
掲載書籍:『かばん新人特集号 第七号』

どうしても暗いものと明るいものを比較してしまい、
その結果いつも自分は暗い側にいて、
明るいものを待つ構図になっているようです。

でも考えてみれば今、自分は明かりのついた部屋にいて、
街の明かりのひとつとして機能しています。
遠くから誰かがこの部屋の明かりを見ているかもしれない。
そのとき私は間違いなくひとつの光なのです。



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