青い光(往復書簡15)

雨宮真由から見咲子さんへ

坂中さんの照明を含めた「光」についての変遷の記事、面白く読みました。

そもそも〈和歌〉の時代はマジの自然光=「ひかり」だったんだよなあと、現代人の私はたまにびっくりします。

これを読んで思い出したんですけど、私が学生時代を過ごした街は首都機能の一部移転を目指して計画的につくられた都市だったんですね。で、街をつくるときに「真の闇というものを残して科学技術のありがたみがわかるようにしよう」という方針で、あえて明るいところと暗いところを作った、みたいな話があって。結果どうなったと思います?みんなが科学技術のありがたみを実感できたのでしょうか? 答えは、「暗いところで犯罪が多発した」。そんなの誰か想像できなかったの?って感じですよね(笑)。この話が事実かどうかはおいておくとしても、確かに通り一本違うだけで急に暗くなるような場所はありましたし、光に満ち溢れている現代で「真の闇を残す」って考え方は面白いなと思ったので覚えていました。

どの光にも意味がある世界中のあなたを知るためしつらえる地図
/雨宮真由

坂中さんが好きな「街の明かり」を詠んだ歌。その明かりの下には必ずと言っていいほど人の営みがあること、そしてそこにたどり着くまでの過程を思うと、今は当たり前になった光に満ちた夜景に気が遠くなるような気もします。


「暮らしと短歌」というテーマからは逸れてしまうかもしれないのですが、ひとつ聞いてもらいたい話があるんです。

私はもともと青色が好きで、冬のイルミネーションも青いLEDを使ってるものとか見るのが好きです。実際青いイルミネーションってよくあるし人気な気がします。でもそれってよく考えてみるとなんか不思議じゃないですか?

白熱灯がいい例ですが、照明というのは熱をともなっています。LEDもまったく発熱しないわけじゃない。さらに言えば白熱灯は見た目にも赤みのある暖かい色をしています。光ってそもそも、そういう感じにどちらかというと温度としては冷たさより温かさに近いイメージをともなっている気がします。……冬の冷え冷えとした街で見るなら、そういう暖色の方がよくありません?

エネルギーとかエコの観点から言ってイルミネーションはLEDの方がいいっていうのはわかるんですけど、暖色のLEDもありますよね。なんでわざわざ冷たい色を好むのだろう?冬にイルミネーションが流行るのは空気が澄んでてよりきれいに見えるからっていうのがあるんでしょうし、そういうことから考えれば色は何でもいいんでしょうけど、なんか冬に万人が求めているであろう”あたたかさ”に逆行するものが街に出現してもてはやされているのが何となく不思議に思えるんです。いや、好きなんですけどね、青いイルミネーション。

光が持っているあたたかさを無視して美しさだけを顕現させる。それも一種の贅沢で、文明の変遷なのかもしれないですね。

何だか屁理屈をこねてしまったような気がします。青い光、見咲子さんはどう思いますか?

美しいところしか見せてくれなくて青い光が照らす横顔
/雨宮真由


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