冬薔薇の未来は無垢の手に・・
冬薔薇よ未来を託す無垢の手に
ARIA THE BENEDIONEのエピソード、藍華昇格シーン~レジェンドになる宣言、一連のシーンからイメージをもらいました
ARIA THE BENEDIONEについては過去に感想記事を書いたのでそちらを参照してみてください
このシーン、感想記事にも書いたけど個人的には「竜とそばかすの姫」ですずがUの世界で素顔のままで歌うシーンと匹敵するくらい、強烈なインパクトがありました。作画、音楽、声優さんのクオリティがおかしいくらい高い・・。藍華役の斎藤千和さん、晃役の皆川純子さん、本当にレジェンド声優だ!
で、冬薔薇なんですが花言葉は
輝かしく
いつ見ても優美である
・・・・「真紅の薔薇(グリムゾンローズ)」と「薔薇の女王(ローゼンクイーン)」の話にふさわしすぎる・・・
これ、スタッフさん、冬薔薇の花言葉知っていて姫屋のエピソードを最後に持ってきたのだったらセンス良すぎでしょ、しかも、劇場版、公開時期が12月とかね。
で、イメージイラストも描いてみた。今回はiPadで頑張って描いてみたぞー。
映画のワンシーンだけど、背景は真っ黒だったんだよね。だから、昇格シーンが薔薇の庭園だったことを踏まえて薔薇を描いてみました・・・。薔薇を描くのがしんどかったぞー、早くIPadProを買ってAdobeのイラストレータをまともに使えるようにしたい・・・・。で、このシーン、成長した藍華の姿を見て驚く晃が本当にかわいい。晃は全編通して”かっこいい”んだけどこのシーンはひたすら可愛いからものすごく好きんですよね、だから頑張って描いてみた
閑話休題
きわめて個人的な思いなんだけど、冬薔薇には花言葉以外にも
「花」が象徴する「栄光」
「いばら」が象徴する「苦難」
両方の意味が込められているのだと思う。
藍華がプリマになる、ということは右手にはめた手袋を脱ぐ、ということだ。手袋は未熟なウンディーネがゴンドラを操舵する際に手が傷つかないように保護するという面もあり、それはまだ先輩や社会から守られている、ということを象徴している。ちなみにARIAの舞台、ネオベネツィアでは街全体でウンディーネを育てているって描写がTV版 第三期 ARIA THE ORIGINATIONの第二話できちんと語られている。少女たちの日常が社会と密につながっている、というのをきちんと描いているということでもあり、これが他の日常系アニメよりARIAが優れている点でもある。話を元に戻そう。プリマになる、ということは守られる側から、育てる側になる、つまり社会を構成する一員になる、ということでもある。手袋を脱いだ「無垢の手」は薔薇の花のような栄光をつかむこともあれば、茨のような苦難でその手が傷つくかもしれない。プリマになるということはそれら両方を「受け入れる」ということでもあり、「受け入れる」決意を示した藍華をみて晃は迷うことなくプリマ昇格を決断したんだと思う。だから、晃がプリマ昇格を藍華に伝える
晃:最後に一つだけ言っておく。ここらから先はもう後戻りできないぞ。お前が進む道は、お前があこがれていたアリシアとは違う、おそらく待ち受けているのはいばらの道だ。
藍華:私の物語のスタートは確かにアリシアさんでした。でも、私が後を追いかけていたのは、「平凡を非凡に昇華する」、グリムゾンローズ、晃さんなんです
晃:(ああ、クイーン、愛娘を託してくださって本当に感謝します)
この一連のやり取りがとても重いし、心に響く。冒頭の句は胸が一杯になった思いのほんの一滴なんだよね。真にすごいのは見る人の胸を一杯にする話を創造する、ARIAの原作者、天野こずえ先生の感性だ。そしてその感性をアニメという目に見える形にするサトジュンもすごいけどね。というか、天野先生のあの感性はというか世界を捉える力、というのはどこから湧いてくるのだろう?本当に不思議だ・・・。ちなみに冒頭の句は晃→藍華、つまり先輩から後輩に受け継ぐ気持ちを表したものだけど
冬薔薇よ未来を掴む無垢の手に
って託すを掴むに変えるとこれは藍華→晃、つまり後輩から先輩に伝統を受け継ぐ決意を示す句になる。藍華が「レジェントになる宣言」をする
藍華:呪いは(ゴンドラではなく)自分自身にあったんです。姫屋の跡取り娘に生まれたからそれらしく振舞う、でもそれって本当の私なの?私って必要なの?そんな言葉が呪いのように心にささやいてきたんです。(中略)だから伝統を引き継ぐのではない。私自身が伝統になるんです!
晃:生意気だぞ・・・・。泣き虫で、照れ屋で、でも頑張り屋で・・・。いつの間にこんなに立派なウンディーネになったんだな。覚えているか藍華、私にとってもお前がウンディーネとしての始まりだったんだ。(中略)お前はたくさんのものを私に与えてくれたんだ。いまいった言葉も、私にとってとても大切な宝物だ。
この一連のシーンを要約した句だ。わずか一語、能動的な表現と受動的な表現の切り替えで詠まれる主客をいれかえることができる・・・。そしてただの先輩後輩という関係でなく、「薔薇の女王」と「真紅の薔薇」が心の深いところで結びついているってことを簡潔に表してる・・・。日本語の表現って本当に奥が深い・・・。そうなんだよ、ARIAを見ると自分の中の眠っていた感性が活性化されて、何かを表現したくなるだよ・・・。こんな奇跡のような作品に出会えたことに祝福を!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?