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劇場版Gレコお絵描き感想

はじめに

劇場版Gレコのお絵描き感想シリーズを始めることにしました
第一発目は劇場版5のアイーダとスルガン総監の対話のシーンを描いてみました。

描いたシーンの説明

このシーンはビーナスグローブを訪れたアイーダと彼女の養父であるスルガン総監の考えが決定的に違ってしまったことが露呈したものです。TV版でも同様のシーンは描写されているのですが、TV版と全く位置づけが違うのがなんとも興味深いです。
TV版ではアイーダからベルリが兄弟であると告げられたスルガン総監がエキセントリックな反応をしている。それは
長い旅路の果てに見識を深めた娘
組織の常識に縛られた父
同じ目的を共有していた父娘が子供が成長することで考えの相違が発生し、コミュニケーションがとれなくなり、そうして子供は親離れするんだよ、って描いているように見えました
一方、劇場版ではTV版と同じシーンでスルガン総監はエキセントリックな反応を示さなくなりました。これは劇場版で追加されたアイーダのセリフ
「お父様は宇宙のムタチオンという現実、彼らの痛みを想像できていません」にという発言、対するスルガン総監の発言に表れていますね。スルガン総監は
「想像しているつもりだ」
と返すんですよ、ここでは父娘の間にコミュニケーションは取れているように見える。じゃ、父娘でなにがちがうのか、それはメガファウナが当初目的としていた
「キャピタルタワーを占拠してフォトンバッテリーをアメリアの手で独占する戦いを遂行するかどうか?」
です。
アイーダはフォトンバッテリー供給のルートを追ってビーナスグローブまでいったことで、そんなことはことをやっている場合でないし、そんなことをやっても意味はない、という結論に至る。一方、スルガンはアイーダの意見を個人的には正しい、と認めつつもアメリア軍の総監の立場に縛られているため、キャピタルタワーを占拠する作戦をやめられない、つまり、後でアイーダが言った通り
「父は組織の理論に負けた」
のです。アイーダは「組織の理論」に負けたくないのでメガファウナを海賊船のままにする。それはアイーダだけではなく、ベルリも
「海賊船のままで戦わせてください」
というし、序盤はアイーダを「あの女」といって嫌っていたノレドも
「地球のことしかわからない誰かさんの命令を受けたくないってことです、行こうアイーダさん」
って、アイーダの意向を尊重し、完全に同意しているんですよね。要するに、「メガファウナを海賊船のままにする」というのはアイーダだけの意見ではなく、メガファウナクルーの総意なのです。

終わりに

TV版と劇場版の違いを要約すると
TV版は父娘のディスコミュニケーションの要素が強く、劇場版は父娘の立場の違いが強調されているということでしょうか。親と子の「ディスコミュニケーション」というのはファーストやΖなどでもおなじみのテーマです。その意味でTV版は完全に脱ガンダムで来ていないとも言えます。一方、劇場版では4部で補強されたSF的要素を最大限に生かして、「宇宙の真理に至ったものとそうでないものの対比」として再編成し見事、脱ガンダムを果たしている。劇場版Gレコは4部、5部が公開されたことでガンダムサーガに全く足りていなかった、”SFとして楽しめる作品”に生まれ変わったのだと思いますね。

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