中卒が考えるキリスト教がめっちゃ流行った理由。


宗教の定義

まずどこからどこまでが宗教なんだろうね。つまり宗教の定義だね。
とりあえずウィキウィキしてみたけど、宗教の定義ってものは決まっていないみたいだよ。
偉い人達が勝手に「オレが考えた最強の定義」とか言ってるだけみたいだよ。
ということは「宗教の定義」は誰でも勝手に決めていいんだ。
だからオレも宗教の定義を考えてみたよ。
オレが考えた宗教の定義とは「無即ち全也り」だよ。

お?どうした中卒?って感じだけど大丈夫、通常運転です。

オレの考えた宗教の定義とは……
宗教の定義なんて無いんだ、アレもコレもドレもソレも全て宗教なんだ。

キリスト教もイスラム教もゾロアスター教もドルイド教も神道もインディアンの精霊信仰も全て宗教なんだ。
もっと言えば酒もタバコも鰯ヘッドもパチンコもヘロインも、ガチャを回すだけのゴミみたいなスマホゲーも全て宗教なんだ。

敢えてわかりにくく例えてみるよ、敢えてね。
家庭用ゲーム機の定義は?と聞かれたときに偉い人は「コントローラーが2つ付いている」とか
「2コンにマイクが付いている」とか
「2chを使う」とか、様々な条件を満たしたものが家庭用ゲーム機であると定義するだろうね。

でもオレは「家の中で遊ぶならなんでも家庭用ゲーム機ってことでいいよ」って言ってあげるんだ。
ある子供が布団たたきでSMゴッコをして遊んでいたら、その子供には布団たたきが家庭用ゲーム機になるし
ある子供が布団圧縮袋でSMゴッコをして遊んでいたら、その子供には布団圧縮袋が家庭用ゲーム機になるんだ。

更に言い換えると偉い人は
「キリスト教を信仰しています」と言う人には「それは宗教だよ、congratulations!!」と言い
「ボクは神道を信じています」と言う人には
「それは宗教じゃないですからfuuuuck!!!!! yooooou!!!!!!!!」とか言うんだ。

でもオレは「神道を信じています」という人にも
「草加市在住です」という人にも
「オウムを大事にしています」という人にも、それが宗教だよって言ってあげるんだ。

もっともっと言うと「神なんかいない」って言う人にとっては無神論が彼の宗教になり
「ボクは無宗教です」って言う人は無宗教が彼の宗教になるんだ。

日本教

そして日本人の大半は「宗教なんて意識したこともない」って感じだよね。
でも日本人もみんな心に宗教を持っているよ。
それはね、日本という閉ざされた島国で、99%日本人で満たされた環境で生活をしてきたことこそが日本人の宗教なんだ。

正月は西新井大師で二礼二拍一礼して
2月にはバレンタインに恵方巻きで鬼にフルスイングしたり
4月にはもうすっかり春だって言うのに寒いウソをついて
8月には寺に年に一度の墓掃除に行き
12月はクリスマスイブに性欲を開放させる
これが意識せずとも全ての日本人が持っている宗教だよ、日本教とでもしておこうか。

偉い人は人々が何を信じているのかという事よりも前にまず宗教を定義して、その定義に人々をはめ込むよね。
でもオレは、人々が信じたり親しんだり信仰したりしているもの一つ一つが全て宗教だと考えてみたんだよ。

キリスト教で例えてみると、キリスト教自体が宗教か否かってことではないんだ。

食事の前に祈りを捧げて日曜には教会に行くって人にとってはキリスト教は宗教だろうけど
クリスマスイブは彼女にプレゼントをして、その代わりに普段とは違うセックスをさせてもらえる大事な日だと思っている人にはキリスト教は宗教ではないだろうねってことだよ。

宗教ってのは一つ一つ「これは宗教」「これは違いますから残念斬りタイプ」と選別するものではなくてね、人間一人一人の心のそこそこ底の方にある何か、それが宗教だよ。オレの中ではね。

絶対的なキリスト教徒と相対的な日本教

そして宗教は心に装備するから同じく心にある価値観に影響を与えるね。

全知全能の唯一神を戴くキリスト教は「絶対的」という考え方に慣れているね。
様々な人種のそれぞれの価値観がぶつかり合うヨーロッパではこの「絶対的」という明確な線引アイテムがとても便利だね。

対して島国カツ単一民族の日本は、引きこもっているところを業者に無理やり引きずり出されたいじめられっ子を最高神とする八百万の柱に支えられているから「相対的」という考え方があっているね。日本ではみんなでダラダラ進むのが好きだからね。

キリスト教が流行った理由

で、ここでやっとキリスト教がなんでめっちゃ流行ったのかに行くよ。
まず宗教は太陽とか炎を信仰することから始まったみたいだよね。
ずーっと昔からあった火や太陽がなぜある日を境に信仰の対象へと変化したのか。
つまり、宗教ってなんなの?って事だね。

オレが考えたのは宗教とは「意味を与える」ということ。
宗教は、人類が生まれる前からあった太陽や火に、人類が意味を与えた時から始まったと思うんだ。

太陽はたまに月曜日とか言う悪魔を連れてくるけど概ねいつも暖かくしてくれるなんかスゴいヤツ。
火は、熱いけどそこに通すと肉は美味しくなるし、米や麦と言った雑草を食い物に変えてくれるスゴいヤツ。
人々は火や太陽に「なんかスゲェ奴」という意味を与えることで信仰の対象へとジョブチェンジさせたんだと思う。

で、キリスト教がめっちゃ流行った理由。言い換えると、人々はキリスト教にどんな意味を与えたのか?だね。

人は火を手に入れて、それを信仰の対象にする程度に文明を進めてもう火に驚くこともなくなってきたけど、火はそこでは止まらずに鉄器を産み出し、鉄器は更に文明を進めて支配者層を産み、国と言う大規模な社会を産み出し、大半の人類を被支配者層へと転落させて更に戦争も産み出したよ。

国という社会形態が産まれたせいで人類の大部分を占めていた生産者層は被支配者層へと新たなランクを付けられて、支配者に搾取され続け死んでいき、戦争で略奪されもっと簡単に死んでいくことになったわけだよ。

死ぬまで搾取される続ける人生。
理不尽な死に怯える続ける人生。
何のために生きているのか分からない、自暴自棄になりそうなところに満を持して登場したのがキリスト教。

無為に殺されていくだけの人々がキリスト教に与えた意味。
それは生きる意味。
人々はキリスト教に「生きる意味」を見出すことで、搾取され略奪され殺されていくだけの被支配者層人生に意味を持たせることで耐えるすべを手に入れたと思うんだ。

「生きる意味」見方を変えれば「死ぬ意味」でもあるね。
「オレはムダに死ぬわけじゃない」という言い訳は時に人を殉教者と言う自殺にまで追い込むことが出来るようになったんだ。

概ね平和だった日本でもそこそこ派手なバトル状態だった戦国時代にはキリスト教や一向宗と言った「生きる意味」を与えてくれる宗教が一時的に流行ったりしたね。
平和になった江戸時代には当然、速攻で廃れたけど。

キリスト教がめっちゃ流行った理由。
それは人々が簡単に殺され、簡単に死んでいく世界だったからだと思うんだ。

ポリコレ教や人権教

ついでに言うとポリコレとか人権ね。
日本では欧米に比べてイマイチ人権とかLGBTに対する理解が鈍いよね。

これも同じような理由だと思うよ。
欧米では結構最近まで奴隷制度が一般的だったよね。
キリストを知っている欧米白人は人間だけど、キリストを知らないアフリカ黒人は人間未満だから奴隷として使っていいよって、キリスト教の偉い人が言ってたからだね。エグいね。

日本にも江戸時代まで穢多非人なんてあったみたいだし奴隷制度なんてなかったとまでは言えないけど、経済構造を支えるほど重要な存在ではなかったよね。どちらかというと経済構造から外されていた人たちって感じだからね。

そんなわけでキリスト教圏では人間未満の存在だった奴隷達を自分たちと同じ人間だと思えるように意味を与えたのが「人権」という宗教なんじゃないかな。

LGBTも同じようなものでキリスト教では、同性愛は神に反する行為とされて、日本人には想像もつかない迫害を受けてきたらしいからね。
例えばオレの友達がある日「俺ゲイなんだ」って言ってきたらオレは「キモッ!」とかしか思わないし、飲みに誘われたら(ホラれたら怖いからあんまり飲まないよう・・)って思うだけどけど
キリスト教圏ではある日親友に「俺ゲイなんだ」って告白されたらその瞬間にそいつは親友から人間未満に格下げされて一緒に飲みに行くどころか声もかけるなってレベルの存在へとランクダウンしちゃうんだね。

日本では「こういうヤツとは絶対に飯を食いに行けない」って言うステータスは人それぞれだよね。
オレは、飯を食う時にクッチャクッチャと音を立てるヤツとは絶対に居酒屋には行きたくないけど。
でも欧米では「同性愛者は無理」という共通認識が社会全体にあったわけだよ。

そういった人々も同じ人間だと意味を与え始めたのが欧米におけるLGBT教やポリコレ教だと思うんだ。

下手すると奴隷や同性愛者というだけで殺されてきたキリスト教圏では彼らを保護するための意味が必要になり人権教やLGBT教が生まれたけど、奴隷が一般的ではなく、同性愛者に対する迫害もさほどなかった日本では人権教やポリコレ教はなかなか浸透しないというわけだね。


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