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凪の海のマナ

 今日も上手く話せなかった。
 奈緒美は暗い気持ちを抱えて、学校が終わると近くの海岸に立ち寄った。
 海へ続く道は、通学路から少し外れたところにあった。椰子の木が生い茂る小道を抜けた先には、砂浜が広がっている。
 父親の転勤で引っ越した南の島は、公用語が英語だった。日本人学校の生徒達も当たり前に英語で話す。奈緒美が転校前に覚えた申し訳程度の英語ではおよびもつかない。自己紹介のときの恥ずかしさを思い出したくなくて、誰かに話しかけるのが怖くなっていた。
 人のいない海はよかった。海のざわめきは、奈緒美の心を落ち着かせてくれる。
「アナタ、ここでなにしているノ?」
 突然、なまりの強い日本語で呼び掛けられて、奈緒美は身を固くした。振り向くと、見知った女の子がそこにいた。
「本条さん?」
「ん? ワタシはマナだよ。アナタは?」
 マナと名乗った女の子は、きょとんとした顔でそう言った。奈緒美が戸惑いつつも名乗ると、ぱっと顔を輝かせる。
「じゃ、ナオミだネ。ナオミはここでなにをしていたの?」
「海を見てた」
「日本に帰りたくなったの?」
「ううん、海を見ていると失敗を忘れられるから」
 マナが首をかしげる。その無防備な仕草に釣られて、奈緒美は自分のことを話していた。慣れない英語、大恥をかいた自己紹介、日本語で話しかけると聞き流されてしまうこと、でもいじめじゃないみたいで……。
「最初のは失敗じゃないよ」
 マナは海を見て言った。
「同じ言葉で話すのはとても大切なことだから。ねえ、気づいてる? わたし、途中から英語で話してたよ」
 奈緒美は息を呑んだ。
「ナオミも話せていたよ」
「でも、下手だったでしょ?」
「ワタシのニホン語とイイ勝負」
 マナはわざと言葉を替えて笑い、すっと立ち上がった。奈緒美も立ち上がって海を見る。
「今日の海は静かだね」
「うん、凪の海。おかげで奈緒美とたくさんお話しできたよ」
 強い風が吹いて、奈緒美は思わず手で顔をかばう。
 次に奈緒美が顔を上げたとき、そこには誰もいなかった。

 ひとりぼっちの子供がいると、マナと名乗る女の子が現れて話し相手になってくれる。その噂を奈緒美が知ったのは、少し後のことだった。
 以来、奈緒美は心に決めている。
 ここに来た誰かが一人だったら、私がマナになろう、と。
 それはきっと凪の海の日だ。

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