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責任や労力を避けたいという気持ちの弱さ

 なかなか進まない案件があった。今考えれば、他機関が絡んでいるため誰かが踏み込んでくれるだろうと、どこか期待していたところがあったのは事実。

 昨日、コンサルが入り案件の整理を手伝ってくれた。停滞している案件をどのように動かすか策を考えて、一定期間の間に進めるべき宿題が順序も明確に出された。

 言われたことは、やった方がいいのだろうなとわかっていても、それは私の仕事だろうかと避けていたことだった。しかし、そうする必要があるならそれは誰がしてもいいのであり、それは私も同じだと知らされた。

私だけが他にも仕事を持っているわけではない。連携する他機関の担当者だって同じだ。

責任や労力を避けたいという気持ちが、私の中にあったことを直視して、今週来週はコンサルに出された宿題を実行していかなければならない。


 事態が動かない時というのは、関わる人たちがそれぞれに他人事で、他の業務が過多であることを理由に労力や責任を避けている場合がほとんど
ではないかと思う。もちろん、待つべきタイミングもあるにはあるけれど、そういう時は期限を決めているべきだ。

 正直、コンサルからの宿題は私にとって簡単にできるというものではない。他の案件も並行して進めているため、物理的な時間が足るだろうかと不安も感じる。しかし、この宿題においては責任を負うことを覚悟した。その後のことは他機関に任せる部分も出てくるので、バトンタッチとなる。

 その案件が誰のためのものであるかと考えれば、大抵主体があるものである。本来であれば、主体が主導して連携機関を巻き込んで案件を動かしていくのが理想であるし通常であろうと思う。

ところが、主体が他者依存的な場合がある。そういった案件は停滞しがちである。

そういった場合、その仕事を依頼され、連携を求められるなら、関わる全ての人が主体であるという意識がないと動き出さない。


 昨日は色々と気づきを得た日だった。
気づくことを避けていたことを直視せざるえなくなったと言ったほうがピッタリするかな。

少しずつ今の職場を離れる日が近づいている。
それまでにできる限り学びを得たい。
その中には自分の弱さに気づくことも含まれるだろう。

今日も気負いすぎず行ってきます。
体調も良く元気なことにありがとう。

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