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仕事に片思いじゃ、人生余裕がないね

 仕事で長距離移動していた家族が、今日帰ってきて発熱している事がわかった。それぞれに自室があるとは言え、同じ屋根の下。生活を完全に分ける事はできない。

 体温計が38度を超しているのをわざわざ私に見せにきた時は、「いや、ちょっと待って、近づかないでいただけますか」という心持ちになった。

こういう時、相手の心配よりも、自分の仕事に支障が出る事を真っ先に心配したことに、後味の悪い罪悪感を覚え複雑な気持ちになった。

 結局、発熱者は、一眠りした後熱も平熱にまで下がっていたし、簡易検査キットでは陰性であったため夕食はテーブルを共にした。


 コロナかもって思うだけで構えてしまうのは、ここ数年で身についた習慣だけど、今となってはコロナの毒性は随分と弱まっていると聞く。それほど恐れる必要もないのかもしれないと、自分のコロナに対しての反射的な不安を客観的に考えて大袈裟だったと反省した。

同時に、自分の瞬発的な思考に、余裕がないことに気づいた。仕事のこと以外に何も思い浮かばなかった。

 こういう仕事の仕方は良くない気がする。仕事への片思いみたいなもので、バランスが悪い。もし、私がコロナになっていたら、休むことになるが、特殊な専門職であるためこれまで休むことを前提に誰かに仕事を共有して引き継げるようにはしてきていなかったことに気づいた。

 少なくとも、休んだ場合にどのように対処してもらう必要があるか手引きは作成しておく必要があるなと思った。

 組織で働いていると、自分をまるで欠けてはいけない歯車のように感じることがあるけれど、誰かが抜けて成り立たない組織は組織として終わっている。実際に終わるわけがない。それに、そう感じるのは自分にとって仕事が全てだからではないだろうか。

視野が狭くなっている。余裕もなくなっている。もっと仕事以外の側面を充実させた方がいいと実感した。

ゆっくりでいいから、もっと人生を楽しむ余裕を持てるようにしたい。

何も考えないゆったりした時間を過ごすために、

「来週、スーパー銭湯に行こう」と家族を誘った。


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