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シルク・ド・ソレイユは必要ない。

クライアントさんに会いに
行く途中、大きなサーカステントが
出現していたことに気づきました。

「キュリオス」という、
シルク・ド・ソレイユの
サーカスの日本公演が、
東京→大阪→名古屋→福岡ときて、
いよいよ僕の住む仙台で
ラストだそうです。

僕も半年くらい前から
見に行きたいと思ってました。

なぜ行きたくなったのかと言えば、
半年くらい前からテレビCMで
よく見るようになったから、
という単純な話です。

単純な話ですが、
その裏側にはシルクの
緻密な計算があります。

仙台公演は来週からなんですが、
テレビCMを見るようになったのは
たぶん去年の10月くらいからです。

東京公演は1年も前に終わってますので、
首都圏のみなさんはもう
忘れてるんだと思いますが、
僕の住む仙台ではいままさに開幕直前で、
キュリオス熱がピークに達してるんです。

サーカスなんてものは、
日常生活においては
全く重要じゃないですよね。

無くて困る性質のものではないので、
わざわざ貴重な時間とお金を使って
行く必要はないんです。

でも、
僕は行きたくなっちゃってます。
そしてたぶん行くでしょう。

こうやって、
お客さんの期待度をコントロールするのが
マーケティングの力です。

キュリオスのマーケティングが、
半年かけて僕の頭の中を
書き換えたんですね。

上手なマーケティングは、
それ自体がセールスを引き起こします。

「絶対に行かなければならない」
とまでは思っていませんが、
「べつに必要ない」
という段階から、
「ぜひ行ってみたい」
くらいまでレベルアップしてるんです。

というか、厳密には、初めは
「べつに必要ない」
とすら思わないんです。
頭の中に存在すらしませんよね。

トイレットペーパーが無くなったら
「絶対に買わなければならない」
と普通の日本人なら思います。

これがニーズ商品です。
生活必需品ってやつです。

対してサーカスは、
言われなければ概念すら無い。

生活に必要がないから、
進んで買う人は本来いない。

だからこそ、
彼らはマーケティングに
めちゃめちゃ力を入れるわけです。

必要ないのに買わせなきゃ
いけないんですもん。

でも、
ただテレビCM流しただけじゃ
脳内優先順位は最下位です。

そっからランクを上位にまで
ねじ込まなきゃいけない。

これができない会社は、
バタバタ潰れましたよね。

僕が小学生くらいのころは
日本にもいくつもサーカス団が
あった気がします。

学校で割引券みたいなやつが
しょっちゅう配られてました。

それもいつの間にか消えましたね。

バブルの名残があるうちは、
生活にとって優先順位の低いものにも
お金を使う人が多かったんでしょうが、

平成の大不況は無情でしたね。
優先順位の低いものから順に
バタバタとビジネスが消えました。

サーカス業界もそのひとつでしょう。
動物虐待の問題なんかも相まって、
時代にボコボコにされた業界ですね。

今じゃシルク・ド・ソレイユ
一強なんじゃないでしょうか。

シルクももちろん
逆風は受けたんですが、
その中で新しい戦略を打ち出し、
それが見事に大当たりして、
新しい時代に生き残れたんですね。

その戦略とは、
動物を曲芸に使用しないことであったり、
有名役者に頼らないことであったり、
安売りをやめたことであったり、
世界観とストーリーを磨くことであったり、
舞台裏を観客に見せることだったりします。

見事ですよね。
それまでの業界の常識の
真逆をいったわけです。

これによって、それまでのサーカスとは
全く別の新しい価値を生み出しました。

そうは言っても
必需品でないことに変わりはないので、
どうしてもプロダクトアウト型に
寄ってしまうわけですが、

「消費者は体験を求める」
という時流をうまく掴んで、
お客さんの声に丁寧に耳を傾け、
舞台裏体験ツアーなどを開催して、
一気に顧客との距離を詰めました。

だからと言って、
ただ顧客に迎合するわけではなく、
独自の哲学や世界観は譲らない、
というバランス感覚は
見事としか言いようがありません。

全部の歯車がドンピシャに
噛み合った印象です。

僕がこんなことを知ってるのも、
テレビCMや特集番組によって
まんまと興味を植え付けられたからです。

この半年間、ほとんど毎日
キュリオスの情報を目にしたと思います。
テレビでもネットでも街頭でも。

初めは単純なテレビCMでした。
いついつ仙台公演が決まりましたよー
くらいの感じです。

1ヶ月ほどすると、
尺が長めのCMが出てきて、
少しずつ演目の内容が漏れ始めます。
自転車にぶら下がって
クルクル回るやつとか。

芸能人を多用して、
感想をインタビューするCMも
たくさん出てきました。

人の脳は、約21日間
同じ情報を見せられ続けると、
刷り込みのような現象が起きます。
潜在意識下に定着して
忘れられなくなります。
ザイオンス効果とも言いますね。

もうキュリオスの音楽とか映像とかが
頭にこびりついちゃってるわけです。

3ヶ月目くらいからは、
テレビで特集番組が組まれてました。

「キュリオスの舞台裏を
特別にちょっとだけ公開します!」
みたいなやつです。

自転車にぶら下がってクルクル回るのが
どれだけ大変なことかを
芸能人が実演してたりしました。

シルクの演者さん達は、
本番では化粧をしたり
派手な衣装を着たりしますが、
練習中は普通のジャージだったりして、
そこがまた新鮮に映ります。

演者さんの1人に
1日密着取材をしたり、
シルク・ド・ソレイユ内での
恋愛模様を暴露したりと、
めっちゃ舞台裏見せるんですよね。
ディズニーは絶対やらないやつです。

「夫婦で曲芸をする演者がいる」とか、
「日本人の演者が1人だけいる」
っていうネタとかはもう
これでもかと言わんばかりに
メディアでこすりまくってます。

本来非日常であるはずのサーカスを、
こうやって日常とつないでいるわけです。

あんな人間離れしたパフォーマンスを
する人達が、「同じ人間なんだ」
と思えた途端、僕らは演者に対して、
シルク・ド・ソレイユに対して、
親近感を抱いたり興味を持ったりします。

自分と同じ人間でありながら、
自分にはできないことができる人に、
人は憧れます。

そしてそれらすべてが、計算された
シルクのマーケティング戦略です。

あらゆるメディアを使って、
キュリオスへの期待度を
高めているんですね。

この期待度がある閾値を超えると、
購買行動が起きます。

今の僕の状態がそうですw

ところで、
ディズニーは絶対やらない、
と言いましたが、
ディズニーの場合は舞台裏を
見せないことが戦略だからですよね。

日常とは完全に隔離された世界観を
徹底的に守っているわけです。

「同じ人間なんだ」
という部分を見せるシルクに対して、
ディズニーの場合は
「人間ではない」
ということを貫き通しています。

どちらが良いとか悪いとかは無くて、
受け入れられるものは
時代の空気感によって変わるでしょう。

個人的には、今の日本の空気感だと
シルク流に分があるんじゃないかなー
と感じていたりします。

アイドルのスッピンを見たい時代であり、
アニメキャラよりその声優が人気の時代であり、
大企業の内部不正が暴かれる時代であり、
インスタ映えが嘘だとバレる時代です。

パッケージを剥がしたいのが
今の時流っぽい感じがします。

そしてディズニーランドのキャラの
「中の人」が労災訴訟する時代です。

現実において完全なる夢の世界は
存在しない、と誰しもが達観したのが
今の空気感なのかもしれません。

その反動かわかりませんが、
2次元の世界ではやたらと
転生ものが多いですね。

これこそ完全なるファンタジーです。
現実とは完璧に隔離された世界観も、
2次元なら裏切られませんもんね。

話が逸れましたが、僕の趣向としても、
舞台裏まで見せてくれるシルクには
とても興味をそそられます。

ビジネスの観点からだけでなく、
食事の管理のこととか、
衣装のこととかも含めて、
超一流の裏側を見れるって
すごい価値だと思います。

シルク・ド・ソレイユには
衣装を作る専門の職人さんもいて、
めちゃめちゃ繊細でこだわりまくった
衣装を手作りで内製してるんですって。

そうやって裏も表も見せることが
ひとつのドラマになっていて、
そのドラマに触れるほどに
僕らはシルクが描いた世界観に
引き込まれていくわけです。

生きる上では全く必要のない、
たかだか1万円のチケットを売るために
文字通り命をかけてる人達がいると思うと、
それだけで頭が下がります。

無駄なことってなぜか、
突き抜けると一気に昇華しますよね。

野球のイチローさんが引退しましたが、
彼も人生にとって全く必要のないことに
命をかけた一人だと思います。

誤解を恐れずに言えば、
プロスポーツなんてただ
ボールを打ったり蹴ったりして
遊んでるだけなんですが、
そんな言葉を口にしたらバチが当たる
って思っちゃいますもんね。

それほどに人間の狂気というか、
情熱とかストイックさとかは、
他者の心を揺さぶるものなんですね。

僕も小さい頃は
日が暮れるまでサッカーやら
野球やらやって、門限までに
家に帰らずによく叱られてました。

夢中で遊んでるから叱られる。

でもそれが365日続いたら、
応援されたかもしれません。

夢中で遊んでるから応援される。

そして40年続いたら賞賛されるでしょう。

夢中で遊んでるから賞賛される。

その違いはどこにあるんでしょうね。

「好きなだけじゃプロにはなれない」
みたいな使い古された言葉がありますが、

たぶんこれからはね、
好きなだけでプロになれる時代です。

今までは、
遊びを遊びじゃないレベルまで
磨き上げた一握りの人だけが
プロになれた時代でしたが、

これから、
この境目のラインはものすごい勢いで
下がっていきます。

すでにその波は来てますが、
つまり遊びレベルでもマネタイズ
できちゃう時代です。

YouTuberやLiverという人達が
わかりやすいかもしれませんが、
もはやこれらを職業のように
扱うこと自体がナンセンスで、
仕事とかじゃなくて日常なんです。

そのへんの中学生が、
スマホを自分にかざして
歌ったり踊ったりしただけで、
数万円とか数十万円とかを
生み出します。
これはプロでしょうか?

AKBの研究生はお金を払って
アイドル活動をしてるみたいですが、
こっちがプロでしょうか?

最近だと、
ゲーム実況YouTuberが配信中に
ゲームしたまま居眠りしちゃって、
そのまま寝姿だけが流れてた
って動画が一番再生数が伸びた
という話がありましたw
これこそがプロでしょうか?

境目がとても曖昧な時代で、
これはもはや、
知ってるか知らないかの違いとか、
ポジション取りの違いとかでしか
ないんじゃないかと思います。

お金を払う側、もらう側、
どちらの側にいたいのか、
すでに自分で選べる時代なんですね。

これは、
IT革命によって富が
昔よりもフェアに分配される
世界になったから、
と言えるかも知れません。

はるか昔からメディアとは
支配階級が独占して
絶対に手放さなかったわけですが、
今はスマホさえあれば
スラム街の子供でも
そのパワーを手にできます。

まさに革命。

もらおうと思えばもらえる世界。
だから、この先はさらに、
お金を稼ぐこと自体は
重要ではなくなっていきます。

呼吸するのと同じように、
水道で水を汲むのと同じように、
お金を生み出すことは
できるようになるでしょう。

一部の支配者層が独占していた
富がさらに分散されるし、
命に関わる衣食住なんかは
ロボットとAIが代わりに
やってくれるようになるからです。

そうなると、ただ生きるだけなら
ほとんどお金はかからないので、
お金という物体や数字自体が、
あまり意味のないものに
なっていくはずです。

あらゆるものが限りなく無料に
近づいていく世界だからですね。
たぶん衣食住だけでなく、
電気もインターネットもエネルギーも。

そんな時代が、これから数十年とか
十数年とかのうちにやってきます。

そんな、
お金のために働く必要が
なくなった世界で、
あなたは今の仕事を続けますか?

そもそも、その世界に
その仕事はまだ存在していますか?

この質問に「YES」と
答えられる人は、幸せな人だと思います。
人生をかけて情熱を注げる仕事を
すでに見つけたってことでしょう。

というか、それはたぶん
仕事じゃないはずです。

生活に必要なことのほとんどは
AIやロボットがやってくれる
社会なんだから、
その世界で人間に残されてるのは
「生活に必要のないこと」
なんですよね。

だから、これからは、
「必要ないことだけが必要になる」
って時代がやってきます。

「遊ぶ」というのは、
実は高度な脳を持つ動物にしかできない
クリエイティブな能力なんですね。

猫とか犬とかは遊びますよね。
カラスなんかもたまに遊んでます。

カラスがたまにしか遊んでないのは、
食べ物を探すという、
「仕事」があるからです。

生きるために仕事しなきゃいけないので、
あまり遊んではいられません。
なんか人間に似てますねw

その点、
飼い猫や飼い犬は、
その仕事を人間が代わりに
やってくれるので、
遊んだり寝たりするくらいしか
やることがないわけです。

彼らがAI社会のお手本なんですねw

でも、
僕ら人間はたぶん、
遊んだり寝たりしてるだけでは
本当に幸せな人生は送れないでしょう。

人間は他の動物と違って、
社会性の強い生き物なので、
「他者に貢献したい」という
人間ならではの欲求を持っています。

いかにテクノロジーが進化しようと、
生身の身体で生きてるうちは、
遺伝子に刻まれたこの欲求に
抗うことは難しいでしょう。

だからね、
そんな時代で最強な価値とは、

自分が狂気をもって熱中できるほどの
「生活に必要のないこと」で、
且つ他者にも貢献できる何か。

なんじゃないかなと。

でもぶっちゃけその時代で
何が他者に貢献できるかなんて
わからない。

ほとんどの貢献はAIがやってくれるし。

ってことは、
他者に貢献しないようなことこそ、
その本当の価値が再評価される
のかも知れません。

ゴッホの絵は生涯で
たった1点しか売れませんでした。
しかも義理で買ってもらえただけ。

それほどに、
「価値がない」と
みなされていたんですね。

むしろ、はじめに言った通り、
「価値がない」という認識すらされない。
生活に必要ないし。

その絵がいまや
1点に数十億円の値がつきます。

「時代が追いついた」ってやつです。

人に大きな感動を与えるもの、
つまりとても貢献するものだから
高い値段がつくんですよね。

じゃあ
ゴッホが他者に貢献するために
絵を描いていたかと言うと、
たぶんそうじゃない。
彼自身の「狂気」みたいなものが
突き動かしていたんじゃないかと思います。

それは当時の社会としては到底
受け入れ難かったのかも知れません。

でも僕の考えとしては、
ただゴッホの絵が社会に触れる面積が
少なかっただけなんじゃないかとも思う。

ゴッホと社会を繋いでくれる
仲介役がいなかっただけかもと。

この仲介役がメディアと呼ばれるものです。

メディアがもっと発達していれば、
いかに革新的な作品だろうと、
その価値を理解できる人は
当時の社会にもたくさんいたはずです。

理解できる人のもとに
届くまでに時間がかかりすぎて、
ゴッホはその前に生涯を終えてしまった。

地動説も然り、
届きさえすれば、
メディアさえあれば、
理解者がゼロなんてことは
ありえなかったはずです。

でも今は、誰もが手のひらから
世界につながるメディアを持ってる。

だから、
一人ひとりが持つ絶対的な価値が、
ほとんど時差なく世界中の
理解者の元へと届くんです。

その価値とは、
狂気の芸術かも知れないし、
居眠りの様子かも知れない。

メディアを使う権利を持つのが、
一芸を極めた者だけじゃ無くなるので、
人が求める価値はもっともっと
多様化していくはずです。
多数決を取る必要がないから。

たぶんその価値のヒントは、
強く「人間」を感じさせてくれるもの
なんじゃないかと思います。

僕らは他者の中に
強く人間を感じたときに、
好奇心を持ったり
愛情を感じたり
応援したくなったり
賞賛したくなったり
するんでしょう。

それこそ人間は
根源的に他者を求めるから。

ただ、
メディアがあることで、
自分が居眠りしてる様子にすら
価値を感じてくれる人と
つながることは確かにできるんですが、
じゃあ果たしてそれが
自分の生きがいになり得るのか
って問題が出てきます。

それに生きがいを感じられるなら
それもひとつの幸せです。
その人生が否定されるべきではない。

でもそううまくはいかないかな。

これはいわゆる「ヒモ」ってやつに
近いイメージだと思うんですが、

何もしない自分に価値を感じてもらえて、
お金をもらえたりすることはできても、
それを本当に幸せだと感じられるヒモは
少ないんじゃないかと思う。

負い目を感じてしまったり、
自尊心がすり減ってしまったり
するでしょう。

命を燃やしている感覚を
得られないからかも知れません。

人間は自分が定めた目標へと
向かっている最中に
もっとも多くの量のエンドルフィンが
放出されるということが
解明されていますので。

ということは、
テクノロジーの進歩によって、
ある意味誰もがヒモになれる
未来の世界では、

とりわけ個人の情熱のようなものが
さらにフィーチャーされる
ということかも知れません。

そしてその情熱は必ずしも
「他者に貢献する」という
モチベーションから
生まれるものではなく、
甚だ独善的で自己満足的なエゴ
だったりするかも知れない。

考えてもみれば、
イチローさんが人に貢献しようと思って
野球をやってたかというと、
たぶんそうじゃないですよね。

そりゃ「子供達に夢を与えたい」
みたいな気持ちも
無いわけはないでしょうが、
それにしては行き過ぎてますw

僕のような凡人からすると、
「いやそこまで行かなくても
もう十分に夢与えてますよ…」
ってな具合です。

シルクの演者さんも同じで、
お客さんを喜ばせたい気持ちは
もちろんあるんでしょうが、
それにしては命かけすぎですw

「そこまでする!?」ってのを
さらに超えてきたりしますから。

もはや自己満足の領域でしょう。

でも、
そこまで突き抜けてるからこそ、
見ている僕らはたしかに
激しく心を揺さぶられる、
というのもまた真実です。

応援し、賞賛したくなります。
強く人間を感じるからでしょう。

共鳴みたいなものでしょうか。
高い次元で自己と他者の
欲求が深く交わると、
自と他の境界線がなくなる。

ATフィールドが
無くなるんでしょうかね。

人間の求める幸せの座標は
このあたりなんじゃないかと
思っています。

先立つのは人間の自由意志だと
僕は考えていますが、
表現としてはもっと強い方が
しっくりきます。
やっぱ狂気かな。もしくは偏愛。

結局はずっと昔から変わらない
真理でもありますが、
このへんが次の時代の
「仕事」のベースに
なるんじゃないかと思っています。

つまり僕らは、
サーカスの演者さんや
スポーツ選手みたいな、
時代の先を地で行ってる人達から
もっと学ぶべきなんだろうなと
改めて思う今日この頃です。

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