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ばあちゃんの笹餅

津軽で笹餅を作っている当時93歳の桑田ミサオおばあちゃんのドキュメンタリーを観た。

小豆を自分で育て、笹を取りに山に入り、もち米を挽いて餅粉を作り、餡を作り、笹で包んで餅を蒸す。
90を超えたばあちゃんが年間5万個の笹餅を一人で作っている。

桑田ミサオおばあちゃんは、昭和2年の生まれで、4人兄妹の末っ子に産まれた。
産まれる前にお父さんは亡くなり、
お母さんが女手一つ4人の子を育てた。
お母さんは裁縫も料理もなんでも器用にこなしたそうだ。
度々お母さんに呼びかけるような場面があり、お母さんとの思い出はミサオおばあちゃんが何事にも前向きで弱音を吐かず、人のために尽す原動力になっているのだと感じた。

私にも大正5年生まれのばあちゃんが居た。
85歳で亡くなったが、ばあちゃんも同じようなことを母に言っていたと聞いたことがある。
「人の為に、人の為に」と。
ばあちゃんも自分のお母さんに言われていた言葉らしい。
うちのばあちゃんも4人兄妹の末っ子で早くに親を亡くし、奉公に行かされて育った。
戦争も経験したし、疎開もした。
じいちゃんは若くして脳溢血か何かで急性したと聞いた。
それでもばあちゃんは、父さんたち三人姉弟全員、大学に行かせた。

話には出てこなかったが、ミサオおばあちゃんも戦争を経験している年齢だ。

親を亡くし、戦争を経験した世代は本当に強い。
苦労を苦労と思わず、人に尽くすことを厭わない。
人の為に行動する事は当たり前のことで、それは誰もがお互いに自然と行うことなのだ。

うちのばあちゃんもそうだったが、
苦労してきた人と言うのは実に不思議なもので、一生苦労する事が多いように思う。
そう言う運命なのかも知れない。
神様から与えられた使命なのかもしれない。

ミサオおばあちゃんは、息子さん夫婦がガンになり、その介護をしている。
代われるなら「自分が代わってあげたい」と言いながら。

もし自分が、息子さん夫婦の立場だったらと思うととても忍びない。
90過ぎの自分の母親に介護をしてもらうなんて、とても心苦しいと思う。
息子さん夫婦も辛いだろう。
ミサオおばあちゃんも辛いと思う。
私が観た時には、義理のお嫁さんは亡くなっていた。

ミサオおばあちゃんは、とても強い。
愚痴をこぼさず、どんな時も前向きに、明るく生きている。

きっと、身体も痛むところがかなりあるだろうし、
疲れているだろう、随分と無理をしているのだから。

それもこれも「人の為」なのだ。

今すぐにでも、おばあちゃんのところに行って笹餅作りを手伝ってあげたい。
小豆の世話も、餅粉を挽くのも、笹を取ってくるのも、重いものだって持ってあげたい、痛いところもさすってあげたい、休んでて良いよと休ませてあげたい。
今すぐにでも飛んでいきたい。

自分は、こんな風に立派に生きられるのだろうか。

私は、ばあちゃんのように誇れる人生を送れるでしょうか。



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