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75年前と、たしか15年前くらい


みなさん、こんにちは。

Mana❀です。


8月9日は長崎に原爆が投下されて75年が経つ日。

日本各地でさまざまな想いが馳せられているのかな、と思いながら私も少し、文章にしてみます。


長崎原爆資料館に行ってみた

HPを訪ねてみると、オンライン学習ができる資料を見つけました。

原爆資料館は終戦してからたったの4年後に開設されたそう。当時の人々が、この体験が風化しないようにという考えが背景にあって、こんなにも速く実現されたのだそうです。

まだまだ戦後復興初期の大変な時期にも関わらず、速く行動したことを通して体験された当時の方々の想いを受け取る時間となりました。


以前私が行った時以上に、リアルな状況を感じられる館内になっていました。

私も印象に残っているのは、爆心地から逃げ走っている子どもたちの写真と原爆ファットマンの大きさ。多感な時だからこそ行ってよかったなと行く機会をもてたことが感謝です!


浦上天主堂と、大浦天主堂

被爆の記録としてこれからも重要な役割を担う浦上天主堂と、今や国宝にもなっている、大浦天主堂。


私の家族はクリスチャンではないですが、長崎と特に大浦天主堂には特別な思い入れがある話しを幼いころから聞いていた私は、日本でも大事な場所なんだなと記憶しています。

長崎に初めて宣教師が来日したのは、1863年。パリ外国宣教会のフューレ神父がきっかけで土地の購入と建築が始まったそうです。

来日して1ヶ月ほどで土地を入手するとか、ここでも行動が速くてびっくり!


異文化を受け入れた地として、今週教会で聞いた御言葉じゃないけど、「速い」のが特徴なのでしょうか。。!


長崎とわたし

長崎にはまだ1回しか行っていませんが、過去に訪問した目的は8/9をこの目で見るためでした。

中高生のときに英語のスピーチコンテストに出場するため、スピーチのテーマを平和にしたいことを家族に話したところ、実際に長崎に行ってみようということになったのがきっかけです。


今と1945年も同じ空なのに、地上の風景はちがう」状況に対する胸の内をストレートに言葉にしながら、私は音楽を通して過去に実際に起こったことや、平和を"音の風景"につくって、色んな場所で伝えていきたいです。といった内容をスピーチしたような気がします。


異国情緒のある長崎での経験を通して出てきた、「こうしたい」という想いは、日本や海外でも実現されるとは、この時全く想像できなかったです(笑)

学校の先生のひと言がきっかけで出ることになったスピーチコンテスト。周りの人に話してみて、「長崎行ってみる?」というひと言の機会を掴んですぐに行動に移したからこそ、生まれてきた想いだったのだな、とおもいます。


先がなかなか見えないコロナ禍。
これからの人生で何をやったらいいのだろう、状況が変わってしまってやりたいことがそもそもわからない、、そんなことってありますか?


教会で聞いた神さまの御言葉に「動いて活動する通りに感じて分かる」というフレーズがありました。

なかなか自由に行動はできないけれども、何か思い浮かんだことをちょっと調べてみる、とりあえず書いて記録するということで、何かが始まるのかもしれません。



私たちのちいさな行いで、各自の個性に合わせた願いを叶えられますように。回り回って、これからの平和をつくる1ピースとなり、ひとつに合わさることで"平和の風景"を完成させていくことができますように。



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(全体的に真面目モードだけど、これだけは言いたいスピンオフひと言)
写真は大浦天主堂の近くにある、グラバー邸。

私が長崎で食したカステラの中で一番美味しかった場所。
長崎観光の際はここもオススメです!




多くの紆余曲折があったけれども、
日本にも福音(神様のうれしい知らせ)を
伝えてくださった神様に感謝します!

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