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【コラム】ヨーヨーの文化的定着の可能性

*入船個人の思想です
*全てを肌感で語っています。具体的なエビデンスはありません


あなたは今、憧れのプレイヤーはいるだろうか。
どこで見て、どんなところに惹かれただろうか。
そしてそのプレイヤーに勝ちたい!と思ったことはあるだろうか。


*chatGPTによる要約
1.トップダウンとボトムアップ
一世代前の日本では、テレビが主要メディアであり、トップスターに対する憧れが強かった。現代はスマホとインターネットが個人のスターダム構築を可能にし、YouTuberやTikTokerが登場する時代になった。
2.多様性と模倣性
現代のメディア環境において、個々の好み尊重が進む中で共有が難しくなりつつあることが指摘され、バズと流行の違い、真似される存在と実力者の違い、教育と趣味の関連性に焦点が当てられています。また、異なる分野における情報の拡散や熱量、ボリュームの差異についても触れられています。
3.総プレイヤー化現象
様々な趣味や遊びにおいて参加のハードルの差や、初心者向けのヨーヨーの選び方について触れられています。また、プレイヤーとしてのモチベーションや難易度の理解、そして競技者と非競技者の関係についても考察されています。

1.トップダウンとボトムアップ
「聖子ちゃんカット」「アムラー」
こういう言葉を耳にしたことはないだろうか。
僕は90年生なので丁度アムラーの手前の世代である。
松田聖子、安室奈美恵に憧れて髪型やファッションを真似るのが流行したのである。

その頃のメディアといえば、当然テレビであった。
居間に1台テレビがドンとあり、家族で同じチャンネルを共有する。基本的には全世帯がそうであるはずである。
大袈裟に言えば、日本全体が同じものを見ていたのである。
(一応探してきた。2000年代でも60%が出ている。)

そしてその頃輝いていたのは「スター」である。
ユニットアイドルも当然存在したが、衆目は「個人」に゙向いていた。
人口何億分の1人。トップオブトップ。
「なりたい!」とは憧れても、「やりたい!」とは思えない、それほどの乖離がある存在ではないだろうか。

おおよそこの時点で何が言いたいか薄っすら分かってきた諸氏もいるだろうが、あえてワンクッション挟むなら個人的にはAKB48の存在も大きいように思う。
ファンから溶岩でも投げられかねない発言かもしれないが、AKB48はシステムとして優秀だ。
まずはメンバー数だ。当然、多い。多いということは、日常生活で「AKB48の◯◯に似てない?」と言われる確率が格段に上がる。AKB48の内容を知らない人間でも、マスメディアで台頭している以上アイドルらしいという認識くらいはあるだろう。
「なんかよくわからんけど、アイドルの誰それに似ている」と言われて悪い気になる人間はそういないだろう。
突き詰めて言うと「AKB48」という1つの集団にまとめたのも功を奏している。
ジャニーズやハロプロでも同じような会話がなされる事が多いが、「ジャニーズの、△△の、◯◯に似てるよね」と情報が1つ増えてしまうのである。
メディア露出の多いグループ、メンバーであっても2階層あるとピンと来ないし、△△も◯◯も知らない場合は褒められているのかすら怪しくなってくる。「マニアックな情報で言いくるめられてないか?」と思う。

そしてグループのセンターを決めるのはジャンケン大会。
見かけ実力不要で運で成り上がれるような演出だ。
つまり、AKB48の誰それに似ている容姿があって、ジャンケンに勝ち続ければセンターになれる、チャンスがある、ように思わせてくれる。
少なくとも数億分の1よりは実感のある数値だろう。
その後の地方フランチャイズ戦略も含めて、「なりたい!」から「やりたい!」へ人々の意識がシフトしていった出来事のような気がしている。

「やりたい!」と言っても環境や道すじがなければ実現しようもない。
何万人の人間が動いてオーディションをする。
地方から東京へ出て活動をする。
1人のスターを輩出するのに巨大な何かが動く。

家庭、年齢、出身、これまでの様々なハードルをブチ壊すツールが現代にはある。
スマートフォンとインターネットである。
スマホ1つと自分自身があればYouTuberにだってTiktokerにだってなるのは自分の意思だけでなれてしまう。
その中でトップに行けるかどうかは別の話だが、同じプラットフォームに1つ動画を投稿した時点で同じフィールドに存在できる。
スマホを持っていればスターになれる可能性がある。それが現代である。

2.多様性と模倣性
 さて、あなたには好きなYouTuberやTiktokerはいるだろうか。
そして、あなたが好きなYouTuberを同じく好きな人間は近くにいるだろうか。
「個」の意識が尊重されるようになってきた現代で、「好き」を共有するのは意外と難しい。
他人の「好き」を認める、という風潮も手伝って「あなたはそれが好きなのね」という決着を迎えることが多くなっているのではないだろうか。
母数から見た確率もあるだろうが、それぞれに好きな物を好きなように見ていていいという環境は、個にとっては居心地の良い状況だが、マスにとってはあまりよくない状況である。
テレビのようなマスメディアしか見られない環境においては、流行も風潮も作りやすかったことだろう。人々にとっての情報源がそこしかないのだから。
全員が全員、それぞれ別の方向を向いている状況において目線を集中させるのは、的確な風読みとコンテンツの投下が必要になるため恐ろしくハードルがあがっている。

そんな中で「バズる」というワードが囁かれ始めてもう数年経つ。流行とバズは何が違うのか。今のところは強引に定義するならトップダウンとボトムアップである。
流行は仕掛け人がいる。広告代理店をはじめとしてマスメディアの大きな潮流の中で舵を切る人間が作り出したものである。
対してバズは、1つのコンテンツに対する個々人の興味の集中、と定義する。
大衆の心を動かす時に共通するのは、模倣のしやすさである。
いま最新のファッションはこれ!とニュースが伝える時、◯◯デザイナーが作り出す新発想のウンニャラカンニャラ……とは言わない。
緑がイケてる!マフラーを巻こう!ネクタイをしよう!
くらいの情報量で伝えられるはずである。
(脱線するが、朝はアイテム紹介が多くて昼はコーディネート紹介が多い、とか時間帯でも情報の濃淡は違うはずなので、超ザックリ話してます)
YouTuber、ヒカキンとヒカル、それぞれマネをしてくださいと言ったらそれぞれちゃんとフレーズが出てくるだろうか?
そしてマネを見せた時に相手にちゃんと伝わるだろうか?
Tiktokはバズの構造そのものである。
みんなでこれを踊ろう!みんなでこういうポーズをしよう!
特筆すべきはTiktokは撮影速度が調整できる事だ。
撮影する時は0.5倍速で撮って、ゆっくり間違いなく撮ったあとに等倍に戻して投稿することができる。
真似をするための機能が設計時点で備わっているのである。

さて、この大きな潮流を活かそうと思った時どうするか。
真似される存在になるか、実力をつけるかのどちらかだと考えている。
真似されるために必要な要素は、簡単で、わかりやすくて、キャッチーであることだ、
具体的にヨーヨーの動きで言えば、
簡単なものは、グラビティプルだとか、犬の散歩あたりだろう。
わかりやすいものは、スターか、タワーは正直ギリギリだと思っている。
キャッチーなものは、これはもうDNAでいいだろう。
(これは完全に僕の肌感である。ご意見あれば頂きたい)
さて、この3つの要素を満たして真似されそうな技はあるだろうか?
「ヨーヨーやってます」と伝えて、相手はどういう身振り手振りをしてくれるだろうか?
恐らく大人は、ダブルループのモーションをするだろう。
現代の子は予想がつかない。ただ多分、DNAをするかな、と予想はしている。

要は一度内側に入ってしまうと、期待と反応のギャップが生まれてしまう。特に顕著に現れるのは「簡単さ」だ。
当然トラピーズやフォワードパスは初歩の初歩、それができなければ何も出来ないレベルのものであるが、ヨーヨープレイヤーではない人間はそれすらもハードルが高いことを今一度再認識するべきだと思う。

この時点で「ただ真似されるだけでバズる」線はない、と個人的には断定する。
(そもそも専用の道具が介在する時点で、真似だけするというのは難しいだろう)
「ブンブンハローユーチューブ」と言えば誰もがヒカキンを思い浮かべる連想ゲームのテーブルにヨーヨーは乗らない。
「緊急で動画を回しています」と言って、片足突っ込んてくる人間の方が適正がある世界なのである。

例えが行き過ぎて迷子になりかけたので話を戻そう。
真似される存在と対比して、実力者になる線である。
これこそが競技の世界である。
野球、サッカー、将棋、スケート。
各分野のプレイヤー、彼らは「凄さ」を提供する。
モノマネ芸人はいるがそれはさておいて、「見ているだけで充足感を与える」者たちなわけである。
その道を追えば、厳しい鍛錬の道とステージが待っている。
それでも足を踏み入れて彼らを目指そうと思えば、強烈な憧れがなければ到底続かないように思う。

片方で、少年団や学校の教育のカリキュラムとして野球やサッカーは取り入れられている。
将棋は部活動くらいならあるところもあるだろうか。スケートはあまりイメージがつかない。
この熱量、ボリュームの差はどこから生まれるのだろうか。
野球やサッカーに関しては歴史や規模感が世界レベルなので比較対象に正直ならない。
が、どの分野の人間も実直に発信を続けていれば「地域」「子供」に何かをレクチャーしたり披露する、という経験をするタイミングがどこかで現れるはずだ。
皆等しく足がかりがあると仮定するならば、問題なのはその先ということになる。

3.総プレイヤー化現象
 個人的に、ヨーヨーは比較的参加ハードルは低いものだと考えている。
僕自身は興味があれば周辺の文化にはある程度手を出してきた側の人間である。
ディアボロ、ボールジャグリング、その他ジャグリング全般、手品、スケートボード、etc…
この中で汎用性が高くてハードルが一番低いのはボールジャグリングかと思う。
ボール自体は専門的なものでなくても2〜3個あればスタートできるし(僕も最初はテニスボールだった)、一応部屋の中でも練習ができる。
逆に一番ハードルが高いのはスケートボードだと思う。
専用の道具も必要だし、更に道具のグレードもある。アスファルトでも走れるが、公道だと何かと問題があるし、環境を求めようと思えば中々場所探しに苦労する。
最初は走るだけでも十分楽しいが、走るまででもある程度恐怖感に打ち勝たないといけないし、トリックを決めようと思ったらある程度の身体能力が必要となる。
手品は、確かにトランプや500円玉などありふれたもので練習が始められるが、上達には必ず他者の目が必要であるので少し毛色が変わってくる。
ヨーヨーはと言えば、道具は専門的なものが必要。場所は部屋の中でもできる。一人で完結する。
今並べたものの中では比較的ハードルが低い方だと定義付けて問題ないだろう。

本当に十数年議論され続けた話題であるが、初心者のためのヨーヨーは何が最適か。
前回のコラムでもチラッと触れたが最初は使いたいものを使えばいいと思っている。
バインドだと戻せないので最初は引き戻しが良い、とか
メタルだと失敗した時危ないのでプラかゴムリムが良い、とか
まずヨーヨーはループ用のヨーヨーから慣れた方が良い、とか
本当に様々な主義主張があるが、個人的には「使いたいものを使えばいい」と思っている。
少し前に「金属の塊を振り回すのは怖い」という意見がある、という話を聞いた。
その場合はゴムリムかループヨーを勧めたら良いだろう。
前コラムでも言ったが、「憧れのプレイヤーと同じメタルヨーヨーを使うんや!」、結構である。
基本的には本人の憂いやモチベーションに合わせて選択すれば良いと思っている。
あなたのお勧めは何ですか?と問われれば、5iveと答える。
5iveはそういうヨーヨーだからだ。

「ヨーヨーに興味がある」という状態に対して、もう少し噛み砕いて考えるべきだと思っている。
「使いたいものを使えば良い」と回答する相手は、既に「ヨーヨーが上手くなりたい」というモチベーションがある。
5iveを勧める相手は、ヨーヨーに対してまだ「自分がプレイヤーとなるか確信的でない」状態である。
そして「最近のヨーヨーって……」の一言では、まだそこを推し量るには情報が足りないと考えているし、この一言への対応によって、ヨーヨー界全体の未来が左右されるとも考えている。

端的に切り込むならこうだ。
「ヨーヨーに興味のある人間が、須らくプレイヤーになる必要はあるのか?」
そして、あえてここだけ歯に衣着せぬ物言いをするならば、
「ヨーヨーのステージを見るだけのギャルが相当数必要」
というのが個人的な理想である。
突然飛躍しすぎて頭おかしくなったのかと思われても仕方ないが、このまま話を続ける。

まずプレイヤーになる必要があるのか?について。
2パターンが考えられる。
1.興味を持った人が離れていかないかが不安
2.プレイヤーでない者に本当の面白さは分からないと思っている

1については、SNS上で散見される囲い込みを見ていると思うことである。基本的には気持ちも分かるので、無理からぬ話とは思う。が、営業の基本は押し引きである。押してばかりでは売りたい物は売れない。押して押して、引くのだ。
そうなんです。最近のヨーヨーはこんな感じです。
動画見てみてください。この人が今年のチャンプです。また感想聞かせてくださいね。では!
くらいがギリギリではないだろうか。勿論、相手のテンションにもよるし、現実に対面しないSNS上でのやりとりでは押し引きの掛け合いが通常より難しい。
それでも何人か本当にヨーヨーを始めてくれたのなら、それは数を打っているからだ。どんなに営業が下手でも100回に1回は当たる。これも営業あるあるだ。

2についてが意外と根深いのではないかと思っている。
冒頭の模倣の話だ。初見でヨーヨーを見る人にとっては技の難易度どころか区別もつきようがない。
一定水準以上は「なんか凄い」の思考停止に陥ってしまう。
例えば2.0フックから4.0フックまでをやってみせて、「空中で巻いてる数が増えれば増えるほど難しいんだよ」と伝えれば、ある程度納得してもらえるかと思う。(フィギュアスケートの回転数のような感じ)
ただそこで、2.0と4.0の難易度の差がどれほど凄いか!というのを説いたところで引いてしまうだろう。
いかに理解されないか、というのを念頭において対峙しなければ得られる理解も得られないように思う。
妻がたまに「この技かわいい。やってみたい」とヤル気を出した時に「こんなムズい技できるわけねーだろ!」と突き放すことのいかにバイオレンスなことか。
もちろんそんなことはせず、一回やってみせる。そこで「めっちゃムズいやん、やーめた」となっても良いのである。
これも、難易度が伝わったことに他ならない。

当然、プレイヤー同士にはそんな生半可な態度は求められない。アイツができないようなムズい技を作ったるねん!という情熱で火花を散らすべきである。
が、難易度に対する評価はある程度知識で補完できると思っている。我々プレイヤーだって、未知の技を見た時それを正しく評価できるか?という問題もある。

で、あるならば。非競技者が知識のみで技の良し悪しを語る事に寛容になるべきである。
ヨーヨーをやらないヨーヨーの技オタクを生むところまで見守るべきである。
それが何より参入ハードルが低い参加の仕方であるのではないか。
見る専によって界隈の経済が成り立つこともある。
その種をもし見つけたならば、押しすぎず、引きすぎず、適度に栄養を与え見守ってみてほしい。

そして、ギャルである。
いや、ギャルは願望である。申し訳ない。
とはいえ、先述の「見る専」人口の種を森にするには何が必要か。
母数と拡散力である。
正直バンダイのマーケティング力は、業界に君臨し続けるだけの強力で強大なノウハウがあることだろう。
3期の頃は演者目的でイベントに来ていた層もいると聞くし、財布を握るのが母親ならば、まず母親を籠絡させる必要があることはホビー界隈では定石である(※諸説あります)
ただしバンダイがマーケットを打つと必然的にトップダウンの形になる。つまりそれは流行であり、一過性のものなのだ。いつか廃れ、逆風になる。
そして今の界隈の状態を見れば、バンダイ他大手は非参入、某店のYouTubeショートから参入する人多数、要するにボトムアップ、バズの構造に近い状態になっている。
で、あれば当然訴求する先も変わる。分析だけで言えば、親世代ではなくプレイヤーと同世代がコアターゲットになるはずだ。
プレイヤーと同世代の見る専を思い描いた時に、なんとなくギャル、「推し」にベットできる存在が必要なのではないかと想起した。

4.まとめ
 かなり長くなってしまったのでそろそろまとめよう。
・現段階でヨーヨーがマスメディアに取り上げられ「流行ってます」と言われることはない。
・何故なら大きな潮流の中でヨーヨーは今「ボトムアップ」の真っ最中だから。
・文化的定着を目指すのであれば、1人1人の動きや意見が目立つし、重要な時期でもある。
・新規参入者に対しての営業の仕方を工夫する。押してばかりではなく、一旦引く。
・見る専に寛容になる。難易度を理解されなくても見てもらえている間は良しとする。
・難易度を非競技者に伝えられるメディアと人間が必要
・観戦スペースをギャルで埋めたい


ここに書き記したのは1つのテーマを膨らませた入船個人の思想です。
またしばらくしてから読み直して、修正するかもしれません。
必ずしもこれが正解というわけではないし、様々な意見も聞いてみたいので、
是非ここまで読んでもらった方はコメントやDMをお待ちしております。


5.書いてる最中に見ていた動画たち


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