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映画『マトリックス』と精神分析

『マトリックス』とキリスト教と精神分析

『マトリックス』の主人公であるネオが聖人=キリストであることは劇中の多くの事実から、見る人にとって明らかであろう。
たとえば「NEO」とはthe「ONE」(神)のアナグラムであるし、ネオの相棒たるトリニティの名前は三位一体を意味する。さらに第一作目の物語はキリストの復活譚を思い起こさずにはいられない。旧作が三部作であるというのも象徴的だ。

しかし『マトリックス』はキリスト教的であるのと同程度に精神分析的である。『レザレクションズ』のラスボスがアナリスト(分析家)であることは、『マトリックス』が精神分析的であることを明瞭すぎるほどに示している。
実際、『マトリックス』は精神分析的な読解において俎上に載せられやすい作品だ。斎藤環による『生き延びるためのラカン』(ラカン:フランスの精神分析医)における「三界」の説明は、精神分析の入門的説明として広く人口に膾炙しているものであろう。
すなわち以下のような説明だ。

人間のこころを作り出しているシステムの3種類の分類
想像界=仮想世界(偽物のイメージの世界)
現実界=人間がマトリックスの夢をみながら寝ている「現実世界」
象徴界=マトリックスの仮想世界を生み出しているプログラムのコード
(『生き延びるためのラカン』摘要)

斎藤環による説明は初学者向けということもあり分かりやすいようで、分かりにくいが、この記事において上記の説明の正確性について論じたり、注釈をしたりはしないことにする。ただし最低限の前提としておさえていただきたい。

『マトリックス』におけるサントーム

さて、ラカンによれば、三界は以下のような「ボロメオの輪」の構造になっている。(I=想像界、R=現実界、S=象徴界)

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しかしこの構造が特別不安定な人間が存在し、これが崩壊すると精神病を発病することになる。ただし完全にボロメオの輪が安定した人間など存在しないことは注意が必要である、この意味で「ひとはみな妄想する」といえる。
そしてラカンは、この三つの輪を安定させるための結び目としてサントームSinthome(∑)の概念を生み出した。

スクリーンショット (3)

興味深いのは、サントームは聖人Saint hommeと、フランス語において同音であるということだ。

このことを前提に次のようなことが云えるのではないだろうか。
『マトリックス』においてネオは聖人Saint homme=サントームSinthomeとして機能している、と。
このことを裏付けるように主人公の本名はトーマス・A・アンダーソン、すなわち聖トマスSaint Thomasである。これもまたサントームと近い発音だ。
なお聖トマスとはイエスの復活を疑った使徒である。自らが救世主であることを疑い続けるネオにはこれ以上ないほど相応しすぎる名前ではないだろうか。

聖トマスの不信 (カラヴァッジョ)

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「ネオとはマトリックスの世界を安定させるためのサントームである」と考えると、第三作目『レボリューションズ』のストーリーが驚くほど腑に落ちるものとなる。

そもそもネオ=救世主とは、仮想世界を維持するために、マトリックスの創造者たるアーキテクトによって生み出されたシステムの一部に過ぎず、ネオのような救世主が過去に五人存在していたことが明かされる。
ネオはアーキテクトに二つの選択肢を提示される。
マトリックスに取り込まれ、仮想世界を維持し、マトリックス内の他の人類を救うか。それを拒否し全人類(マトリックス内の人間とマトリックス外のザイオンの住民)を滅亡させるか。
ネオはトリニティを救うためにマトリックスに取り込まれることを拒否するが、エージェント・スミスの暴走を止めることを条件にザイオンへの攻撃を中止させる。
最終的に、ネオはスミスを倒し、自身はマトリックスへ吸収されることになり、機械と人間の共存が達成される。

以上のようにネオ=救世主はマトリックスを安定させるための機能であるといえるであろう。それはまさしくラカンの云うサントームの機能である。

さらに付け加えるなら、『レザレクションズ』においてネオがゲーム版マトリックスの管理者をしていることもまた、この意味で解釈されるべきだ。
斎藤環がいうように象徴界が仮想世界のプログラムのコードであるとするならば、現実界とはまさにプログラムにおけるバグだ。なぜなら現実界とは象徴界の一貫性の中で裂け目=矛盾として現れるからである(ラカンはこれを外-立と呼ぶ)。
そしてサントームの機能とは現実界に対する防衛である。映画の冒頭でネオがバッグス(Bugs)の侵入を検知し対処しようとしていることは、それを明確に示している。

『レザレクションズ』の寄る辺なさ

さて、マトリックスはこのようにきれいに完結した物語であり、続編などは作ることができないようにも思える。
しかしサントームであってもボロメオの輪を完全に支えることができないことからすれば、そのようにして安定したはずの世界であっても再び崩壊する可能性は常にぬぐえない。『レザレクションズ』はそのことを端的に描いた物語である。
モーフィアスの立像が祀られているのを見たとき、「これじゃあ震度3程度の地震で倒れてばらばらになるよ」と思ってしまったのは地震大国の日本人ゆえであろうか。ネオとモーフィアスによって作られた平和の不安定さを象徴しているように思える。

この不安定さは『レザレクションズ』のストーリーにも存在する。
『マトリックス』において赤は真実、青は見せかけsemblantを象徴する色である(そういえばセンブランスという単語も『レザレクションズ』に出てきたものであった)。
まず、マトリックスにとらわれたネオはアナリストによって青いピルを処方されている。そしてアナリストは青の眼鏡をかけているし、スミスは青いスーツを着ながら「透き通った青い目はやりすぎだ」と発言する。これらはすべて仮想世界の人間の特徴だ。
しかし真実の側にいるはずのバッグスはなぜか青い髪色をしている。バッグスはネオの次にマトリックスに適応しているとまで言われる人間のはずである。まるで『マトリックス』を見る人間に対してどちらが真実であるか、疑問を投げかけているようだ。
しかし「ひとはみな妄想する=ひとはみな狂っている」というラカンによるテーゼを受け入れるならばバッグスの青い髪もまた受け入れることができる。すべては妄想または幻想であるからだ。『レザレクションズ』においてネオとトリニティによってもたらされたはずの平和もまた見せかけにすぎない(ネオが救世主であるか、幻覚に悩まされる精神病者であるかにかかわらず)。

『レザレクションズ』の感想

私が『マトリックス』で一番好きなセリフはメロヴィンジアンのセリフだ。
「Nom de Dieu de putain de bordel de merde de saloperie de conard d'encule de ta mere」
意味はひどく下品な罵倒言葉。彼のフランス語による美しい罵倒が『レザレクションズ』においても健在であってひどくうれしかった。
二番目はやはりモーフィアスの「At last」である。『レザレクションズ』にも出てきた印象的なセリフだ。
因みにこれの元ネタは『千一夜物語』であると勝手に思っている。

砂漠で道に迷った主人公はまったく偶然に洞窟に入る。そこには老賢者が三人いた。主人公が入ってきたために目覚めた三人はこう語る。「とうとう、やってきたな。三百年間、おまえのことを待っていたのだ」(汝の症候を楽しめp29)

これはジジェクの本からの孫引きなのだが、このエピソードのタイトルが分からないのでどなたかご存知の方がいらっしゃったら、是非コメントなどで教えていただきたいです………
化物語における忍野メメのセリフ「やあ阿良々木くん、待ちくたびれたよ」を思い出す方も多いのではないだろうか。

以上

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