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日本の音楽リスナーの特徴?

1個の動画を流します
前に2024年にブレイクするアーティストでtuki.をご紹介したんですが、昨日1個の動画に出会いまして
ちょっと感じたことがあるので記したいと思います
まず動画を

MrFuji from Japan《目指せトリリンガル》

長いですが

あくまで感想であり仮説です

まぁそういうチャンネル、ということでもあるかとは思いますが、このチャンネルいくつか動画、観てみたんです
感じたのが聴き手がアーティストと同等の立場というか
アーティストと聴き手はあくまで同じ人間で、いやむしろ聴き手がお客さんとして評価する立場にいるというか
分解し分析し評論している
日本人て良くも悪くもアーティストは自分より上の立場というか
そういった傾向はあるのかなと
本当に仮説であるのですが、日本語の言語と子供のころの教育、そして宗教観、思想感によるものなのかなって
僕も曲を書いていたんですが、そして僕がへっぽこだったからかもしれないんですけど、いくつかのテクニックを配置して構成して曲を仕上げる、というより降ってきたものを捉える
そういう行為を行っていました
でも若いアーティストって結構そういう人、多いんではないのかと
僕のtuki.さんのイメージってそんな気がしていて
他のアーティストのも挙げておきます

崎山蒼志

これ、考えて創っていないですよね
多分、あるものを捉えてる
また面白いのが「五月雨」というタイトル
比較するものではないんですが例えば英語の「雨」というものを表す言葉って30くらいらしいんですね
たとえばHard rainとかdrizzleみたいな
でも日本語って200くらいあるらしいんですよ
これがまさにあるものを捉える国民性の特徴というか
自然現象のようなものは体系立てて整理せずあるがままを捉えようとした結果そうなってしまったのではないか、というのが一つの仮説
そして「五月の雨」ということではなく「五月雨」って多分英語にはないと思うんですよね
「5月の雨」と「五月雨」では意味が違ってくるという前提ですが、崎山君、中一の時、五月雨でなんかを感じたんでしょうね
そして大人になってブラッシュアップしてはいますが五月雨を歌い続けている

ここにあるのはテクニックだけではなく崎山君がとらえたその時のにおいのようなもの
それが大事、それが根底にあるから20歳過ぎてもFIRST TAKEでやれる

カモシタサラ

この人も10代で出てきたアーティストですが完全に「降ってきた」っていってますよね
曲も貼っておきます

サラちゃんの投稿

うん、やっぱり別にすごくなくても、そのままでいいって

やはりあるがままを捉える傾向ってあると思うんですよ
日本人
で、なんか道徳の授業って、そんなこと言われていたような気がしません?
とふれてしまったので軽く教育のことを挟みつつ笑

一応書いてしまったので宗教や思想感について

先ほどから書いていますが日本語ってロジカルさには向いていない言語だと思います
ロジカルに考えられないというより、そもそも事象に対してそのままを捕まえるという傾向が高いし、日本語の単語の種類が膨大すぎる
そこからチョイスして共有できる言葉を探る、そして共有し共感する
同じロジックを共有するのではなくフィーリングを共有する
そちらの方が向いている言語だしそうしてきた
だからこんなに単語が増えた、まずそれが1つ目の仮説です

宗教も日本は神道こそあったものの神も仏もなんか区別しないですしなんならクリスマスやハロウィンも好きだし
簡単に言うと無宗教というか都合がいいというか笑
渋谷で仮装してクリスマスには恋人とデートして初詣行っておみくじ買う
イベントを楽しんでる
まずもって絶対的な物ってあまり感じないというか
こう、いいことも悪いこともある日常を淡々とこなしていく
こういった日常感にこそ重きを置く人が多く、自然こそ神とのように対話はするもののそこでも圧倒的な自然に対し”感じる”ということを優先し、そこで我を顧みたり、ましてや懺悔などしない
イデアやヘーゲルの建物から絶対的な物はない、と苦渋の中で思考を繰り返したニーチェやデリダのような苦悩がない
デリダの話とかしても若い子とか、へーぐらいというか
僕の説明が下手だと思うんですけど、そういった偉人たちの言葉も大事ですがこっちの方が響くみたいな

乗りたい電車に間に合ったり、居酒屋で知らないおじさんに酒おごられたり、かわいいあの子と趣味があったり
そんな良いことばかりだけだと怖いので、スタバの期間限定を飲み逃したり、スーパーのタイムセールに間に合わなかったり、もし間に合ってもレジで財布忘れてたりとか
そんなんがいい
等身大の歌詞がいい、ということで今年ブレイク必至のサバシスター
僕はおじさんですが解るんですよね…笑
なんかなにか真実を見つけるとかそんなんではなく日常主義というか

今、世界で活躍している日本のアーティストってボカロ界隈の人多いですよね

僕も10年以上前からボカロ聴いていますが昔はみんなそんなにテクニックとかなくて
でもアイデアやフィーリングを出すのがうまかった
それがだんだん歳を重ねテクニックを身につけ世界でも認められるようになった
でもその部分はもちろんあるんですが日本のファンってうまくなったから余計好きになった、とかではなくフィーリングがより伝わるようになったという感想は持つとは思うんですが、若いころからあるそのアーティストの世界観に共感する、そういう感じの人、多いんじゃないかな

今日はそんな仮説の回でした

ではまた

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