30年前のフィリピン

今から30年以上前
まだ”バックパッカー”という言葉が日本に上陸する前だった。
特に目的もなく、アジアを”貧乏旅行”していた。
寝袋を詰め込んだリュックを背負って、気の向くままに。
ゴールは無く、期間も決めずに。

誰かに「フィリピンの海はきれいだよ。まだ旅行者は少ないし。」と聞いたので、
フィリピンに向かうことに。
この旅は、幸先からあまり良くなかった。到着したマニラ空港では、預けたリュックのストラップが千切れていた。空港のオフィスでクレームを入れたのだけど、取り合ってもらえず「町のオフィスへ行け」の一点張り。町のオフィスへ行ったら「こういうのは空港のオフィスでないと対応できない」と言われてしまった。
町へ向かう乗り合いバス(ジプニー)では、2人組の窃盗犯に帰りの航空券とT/C(トラベラーズ・チェック)を盗まれた。タイで買ったポーチに貴重品を入れ、シャツの下に隠していたのに。2人組は名コンビで、片方が僕の気を引いている隙にもう一人がシャツをまくり上げ、下のポーチに切り込みを入れて中身を抜いていた。どちらも再交付できるので大きな問題ではないのだけど、盗難証明を書いてもらおうと警察署に行ったら相手にしてもらえず門前払い。しばらく粘っていたら、怒鳴られた上に拳銃を出してきて脅された。
「大きな都市は嫌いだ!人間が汚れている。早く海の綺麗な田舎に行きたい。」と思い、探したら、マニラのあるルソン島のすぐ南にミンドロー島(ミンダナオではない)という島があり、海が綺麗だと聞いた。マニラからバスでバタンガスという港へ向かい、そこからはフェリーですぐのところにある島。
まずは島の玄関口のプエルト・ガレラという小さな港町へ。
ここで同じような貧乏旅行をしている日本人に出会い、「ヨットを借りて、海からビーチ巡りをしよう!」と盛り上がった。翌朝、早速ヨットを持っていそうな家を訪ねて交渉。順調にビーチ巡りをスタート。と思ったら2つ目のビーチを出た辺りでヨットは壊れ、操船不能に。ヨットもろとも海流に流され始め、「こりゃヤバイ!」と思っていたらビーチからモーターボートが救援に来てくれた。「助かったー。ありがとう」と感謝したら、早速「金払え」と始まった。「払わないならもう一度、船ごと沖に引っ張って行ってやる」と脅しまで。(くそっ。ひょっとしてコイツらが船に細工したんじゃないか?)と思いつつも、証拠もないし仕方ないので支払った。
今度は船の持ち主が怒って「ワシの船を壊しやがって!弁償しろ!」と言ってきた。「船は最初から壊れていた。おかげで金をとられたんだから、そっちこそ払え!」とやり返したら本気で怒りだして、鉈をもって襲ってきた。止めに入った周囲の人たちも、実はグルなのかもしれないけど、もう面倒になってお金を払った。(どちらも大金ではないのですが、旅行者には痛い。)
(もう、全員が悪人に見えてきた。でもこの日本人までグルだとは思いたくないな。やはり、外国人旅行者はカモだと思われている。みんな金欲しさにズルいことを考える。もっと小さな、旅行者の少ない、のどかな村へ行きたい。)とふたたび探したら、ここプエルト・ガレラと同じミンドロー島の反対側へは陸路も、定期船も無く、ココナッツを運ぶ貨物船でしか行けないと知った。早速ココナッツ船を探し、乗せてもらえるように交渉。他の外国人はこんな不便なとこなんか行かないだろう。そうすると外国人のお金目当ての連中がいない、のんびりできる村へ行ける。甲板に積みあがったココナッツの上に座り込んだ僕は、やっと安心していた。

陸路は無く、ココナッツ船でしか行けないという、幻の町は”マンブラオ”と言った。(ここが旅行者のいない理想郷かぁ)と感動していたら、町の中に”ツーリスト・オフィス”が有り、僕は少なからずショックを受けた。
でも(きっとフィリピン人の旅行者用だろう)と考えることにした。そこで「この町に宿はある?」と聞いて、紹介してもらったのも”ツーリスト・ホテル”だった。やっぱりショック。「なんだ。やっぱりツーリストは沢山いるのか」
ところが、外国人は居なかった。見事に僕一人。町を歩くとみんな振り返る。子供たちがこっそりついてくるのが分かる。そして英語がほとんど通じない。タガログ語のみ。
カタコト英語の通じるホテル以外では唯一英語が通じるのは”ツーリスト・オフィス”だけ。そこでさっそく情報収集。そこには若い男女が一人ずつ働いていたのだけど、女性の方が町案内を申し出てくれた。彼女の紹介で町を歩いているときに、何故か床屋に立ち寄った。ここのお兄ちゃんがゲイで、何故か外国人にとても興味を持ったようだ。突然店を閉め、バイクの後ろに僕を乗せ、ツーリスト・オフィスの女性と床屋のお客さんを置き去りにして出発。彼は何故か僕をこの町中の床屋に紹介してくれた。紹介されたすべての床屋はひとりで運営していて、全てゲイ。彼らはとても気のいい連中で、食事などをご馳走になった。変な雰囲気にはならなかった。
 数日後、天気が良かったので、ホテルのテラスにあるカフェで昼間からビールを飲んでだらだらすることにした。
車も少なく、静かな午後。「あー。やっぱり旅行者が少ないと、のんびりできるなぁ」とくつろいでいたら、何故かホテルの前に、トラックや護送車のようなイカツい車が何台も集結してきた。みんな手にライフルやマシンガンらしきものを持っている。軍服を着ている者もいる。全部で20~30人くらいいただろう。車を降りると皆、ホテルを囲むように散っていく。そのうちの数人がロビーに駆け込み、フロントの男性となにか一言二言。フロントの男性は宿泊名簿のようなものを出し、軍服の男性はページをめくり始めた。
「あれ? 確か、この町には今、外国人は僕しかいないはず。なんでツーリスト・ホテルの宿泊者をチェックしているんだ?なんで周りを見張る?ひょっとして狙いは僕?軍人のようにも見えるけど、全員が軍服を着ているわけではない。軍服だと思っていたのも、よく見るとただの軍服風の迷彩服だ。まさか身代金目当ての外国人拉致?」など、いろんな考えが一度に頭の中に浮かんだ。
「やばい!逃げよう」幸い、ビール代は先に払ってある。僕はゆっくりと、トイレにでも行くふりをして、歩き出す。ビールを飲みながら、見張りのいなそうな場所は目星をつけていた。隣の敷地との境界の塀が、一部低くなっていた。僕はそこに近づき、周りに誰もいないのを確認したうえ、塀を乗り越えて隣の敷地へ入り込んだ。となりの敷地から、さらに隣の敷地へ入り込んだ後、ホテルの正面口とは反対側になる道路へ出た。あとは一目散に駆けた。
ホテルへは暗くなってからこっそりと戻ってみた。迷彩服を着た連中は居なくなっている。恐る恐る部屋にも戻ってみたが、荒らされた後はない。どうやら目的は僕ではなかったらしい。でも恐ろしかったなぁ。
フィリピンて、こんなにディープだとは知りませんでした。


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