今日からできる100のこと。 1.植物も動物も多様性が豊かさを育む。違いを認め合おう。
新型コロナウイルスの感染拡大とともに、世界で分断が生まれている。
このざわざわした感じは、「2015年欧州難民危機」を思い起こさせる。
当時、私はドイツ・ミュンヘンにいた。メルケル首相がシリアやイラクなどからの難民・移民受け入れを表明し、ミュンヘン中央駅には連日、大量の難民が押し寄せていた。ドイツ国民の多くが「Willkommen(ようこそ)」と迎え入れる一方で、旧東ドイツを中心にペギータ(イスラム嫌悪の反移民団体)が「ニセモノの難民と一緒に地獄がやってくる」と毎週デモを行っていた。
なにがどうなっても、おかしくなかった。
自分の意志とは無関係に、坂道を転がり落ちていくような、このままだと、どうなっちゃうんだろうという不安があった。
それでも、あのときのドイツはぎりぎりのところで踏みとどまったと思う。
受け入れに失敗すれば、パリの同時多発テロのような事件が起きるという危機感があり、他者への不寛容を許さなかった。
皮肉なことに、そのことがメルケル政権の求心力低下と極右勢力の台頭のきっかけになり、ドイツ国内での反難民感情を高めていったわけだけれども。(新型コロナの感染拡大にあわせて、排外主義が一般のドイツ人にも広がり、3月6日にドイツ公共放送が発表した緊急世論調査では、42%が難民を受け入れないことを支持した。)
違いを認め合うということは、「わかりあう」ということではないのだと、ドイツの取り組みを見て思う。
他者への不寛容をなくすこと、つまり、「わかりあえない他者の存在を受け入れる」ことが大事なのではないだろうか。
わかりあえないことから始まるコミュニケーションというものを考えてみたい。そのわかりあえない中で、少しでも共有できる部分を見つけたときの喜びについても語ってみたい。
これは『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』のまえがきにある劇作家・演出家の平田オリザ氏の言葉だ。ここでいうコミュニケーション能力とは、「グローバル・コミュニケーションスキル」=異文化理解能力だ。言いかえれば、「相手のコンテクストを理解するエンパシー能力」である。それこそ、違いを認め合うために必要とされる能力だと思う。
シマ国・ムラ社会で、比較的のんびりと過ごしてきた日本には、ドイツのような多民族国家が抱える危機感はない。でも、近い将来、日本だって多民族国家になっていくだろうし、「多様性」に含まれるのは文化だけではないだろう。いまだって、新型コロナウイルスによって私たちは分断されている。
まったく文化的な背景が異なるコンテクストの「違い」より、その差異が見えにくいコンテクストの「ずれ」の方が、コミュニケーション不全の原因になりやすい。私たちは、この「ずれ」を容易に見つけることができないから。
日常の些細なことにだって、「ずれ」は潜んでいる。
男、女、その他。
結婚している、していない、できない、やめたい。
子どもがいる、いない。
右利き、左利き。
わかりあえないことから始まるコミュニケーションを、相手のコンテクストを理解するエンパシー能力を、これから身につけていきたい。
おわりに
タイトルは「FRaU(フラウ)2020年1月号 FRaU SDGs 世界を変える、はじめかた。2020」の特集「今日からできる100のこと。」から拝借しました。
認知度がまだまだ低いSDGsを、身近なアクションにつなげてほしいという思いから作られたこの指標を、ひとつひとつ思考・実行していきます。
自分の「いまここ」を量るメジャースプーンとして。
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称。 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。(外務省ホームページ)
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