地上に立つ

大地に足をつけること。それが生きることである。死は時間のない、全ての終焉であり、あらゆるものを絶対的な力で飲み込んでしまう。全てのものが死に向かい、死に行き着くが、そこには何もないのである。ただ無限の無が有る。
生は地上の有限のものである。なぜ地上があるのかはわからないが、とにかく生は地上にあり、たくさんの細いひもが絡みついて地上に生をとどめている。絡みつくひもがなければ生は地上にとどまることはできない。なぜなら、世界には全てを飲み込む無限が存在するからである。無限に引き寄せられて、生は常に宙に浮こうとしているのだ。宙に投げ出された生は、例外なくそのまま無限に飲み込まれて、再び形を持つことはない。
形を持つことは有限性の象徴であり、生は具体的な形を持つ。生はさらに、有限的なものを創造できる。これが生の活動である。
普遍性を追求することは、それ自体、普遍性を有限的に語ろうとする試みである。有限的なものは有限的なものを有限に創造することができるが、有限的なものを無限に創造することも、無限を創造することもできない。
生を地上に結びつけるのは、地上にある有限的なものである。したがって、生の活動は、生を生たらしめ地上に結びつけるのだ。

地上に立つこと。これが生きることである。わたしたちは足が地を離れて飛んでいかないように、自らを有限的なものに結びつける。それは家族であり、友人であり、物語であり、歴史であり、言葉であり、音楽である。存在は有限性のただなかに在るのであり、無限にない。精神は具体的な腐敗する身体のもとに宿るのであり、肉体を超えた精神はない。存在を存在足らしめるのは、その存在自身の有限性と、有限的な活動によって肉体で大地を踏みしめんとする意志である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?