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レズビアンのご祝儀割引

最近、続々と友人が結婚する。
25〜26歳は第一次結婚指輪インスタグラム載せブームで、いいねやコメントが止まらなくなりありったけの祝福の言葉をもらえる。

そんな中、アタシは一人、悶々とした気持ちでいいねを押した。

二人の新たな人生のスタートという門出、こんなにおめでたいことはないのにどうしてこんな気持ちになるんだ?

今回はこの感情に寄り添いたいと思う。

レズ、結婚許されず

おそらくもやもやの大部分はこれ。
異性婚にだけ権利のある、この日本のアホキモシステムの不平等さに苛ついてしまう。

おめでたい報告にムカついてるのではなく、制度にムカついてるのである。幸せな二人には幸せな言葉をかけていい。ここはアタシ、責任転嫁しちゃダメよ。この二人は何も悪くない。

そんなのわかってるんですけど、語弊承知で申し上げたい。

ご祝儀割引しませんか

ご祝儀がどういう意味で何に使われるのかも
知っている上で言いますが結婚できないのは不平等なんでレズはご祝儀割引しませんか?

アンタたちはどんな人と結婚したって、子ども産んだって「おかしくない」んだからねーー
私たちは結婚したいとか子ども産みたいという権利を取り上げられて「おかしい」とか言われるんだからねー

子ども産みたいと思って精子提供を用いる不妊治療することもアンタたちはOKだけど、私たちはダメになるかもなんだってー!なんか変だよねーやっぱそんな「おかしい」んだねー

れずはご祝儀割引で頼むねー
結婚できないからねーアンタ達の前でなるべく金切り声で子どもができないことや法の不平等を訴えずに生きてあげるからねー
当たり前のことを当たり前に思って幸せに生きててねー

そうはいっても幸せの割引はしちゃダメね

もちろん冗談なのだけど半分本音である。
このアホくさおたんこなす制度にムカついてることを、幸せな報告をした二人に敵意を出すことで消化するのは一番ダメね。不快な方いたらごめんね泣

幸せなことを幸せだね〜と喜べないくらいに歪んでしまっている私の性根は、早めになんとかしなくちゃいけない。私の解決しなきゃいけない部分と、社会の仕組みのせいの部分をしっかり切り離して考えていきたい。

ああ、でも友人の結婚式に出る回数が増えるたび、「結婚式サイコー!幸せサイコー!おめでとう!」→「あっち側になることないんだ、けっ」→「素直に喜べない歪んだ私ってほんとダメな女」という負のスパイラルに毎回ハマり本当に病んでしまいそう。

そうしたら、外の世界に飛ぶか。海外で仕事してますのでなどと簡単に出席できない理由をつけて。それでおしゃれなメッセージカードを一枚送って、アタシは異国の地で沈む夕陽に黄昏ながら「ふ、おめでと」とワインを一口飲むんだ。バーボンをロックでもいい。格好つけたいけすかない逃亡者として生きるのだ。

心の底から祝える日が来るように

実際、「同性婚オッケーですよ〜」ってなったときには飛び跳ねて喜ぶと同時に幸せを僻んでいた自分を殴り飛ばしたくなると思う。
 
私たちもそれなりに「結婚する」ことの意義を考えられるようになって、結婚は必要か、必要じゃないか。必要ならいつまで、どんな人としたいか。
今までのように「結婚」の話の際、結婚そのものに対しての思考をストップさせ(その段階にいけないから)結婚できないなら、どういうカードを切っていくか?できる方法はないか?という全然違う話をして「フェミニスト」「思想家」みたいなレッテルを貼られることもなくなるし。

どうか不平等だなぁなんてぼやかずとも、その人の幸せを心の底から喜べますように。「結婚できる」という権利があれば、少しはほら解決できると思いますから。これは性的少数者が問題なのではなく、社会の問題ですからね。(性的指向は選べないということも教育して)よろしくお願いしますね。

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