親の興味、子どもの環境

よく「子どもは育つ環境で決まる」というようなことを聞く。遺伝ももちろんあるけれど、育つ環境も大事。そんなのちょっと考えるまでもなく当たり前の話だと、見る度に思っていたのだが。最近、ようやくその言葉の本当の意味を、ちゃんと理解し始めたのかもしれない。

きっかけは、地形図だった。

息子が地図関係の絵本を読んでいて、地形図に少し興味を持っているようだったので、手持ちの地形図を出して息子に見せたのだ(詳しくは昨日の記事に書いている)。

地形図のある家なんて、どう考えても少数派である。地図好きか、登山好きか、そういう理由が無い限り、ぱっと出せるものでは無い。昔買っておいて良かったなーと思いつつ、じゃあ無かった場合はどうだったのかとふと考えて。おそらく息子に本物の地形図を見せることは無かっただろうと気付いた。

今はどうか知らないが、地形図を購入するというのは昔はひと手間かかったのである。大抵本屋さんに置いてあるのだが、どこの本屋にでも置いてあるということはない。街中の大きな本屋さんに行かないと無いのである。

息子が本当に地図好きで「欲しい!欲しい!」と言い続けていれば、いつか買い与えることもあるかもしれない。けれど、今のようにただ何となく見ている時がある、特別好きだと感じないくらいの段階で、わざわざ1時間かけて街中まで行き買う親がどこにいるのだろう。

まして物は地形図。私は好きだが、万人受けするわかりやすい良さのあるものではない。親によったら、いくら子どもが欲しいと言ってもその価値を理解できず「そんなものいらないよ、買わないよ」と言ったかもしれない。

子どもは環境で決まる。

その環境に、親の興味関心が大いに関係するということに、その時はじめてちゃんと気付いた。


我が家は地図環境が良い家なわけだが、それは親が地図を好きだからだ。たとえ子どもが地図好きでも、親が好きじゃなければなかなかその環境は整わない。

「元々持っている」というのはとても楽なことなのだ。あるものを出せばいいだけだ。無ければ買うなり調べるなりしなければならず、それには時間もお金もかかる。1つの物を用意するにも、それまでの親の生きてきた環境、価値観で、人によってハードルの高さが全然違うのである。

スポーツ選手や芸能人や政治家や。親がやっていて子もやっている、2世が出てきやすい分野というものはあるが。考えてみれば当たり前である。特別用意しなくても、ある程度元々環境が整っているのである。親には経験もあるのである。一から環境を整える必要のある家庭とはそもそも最初から違う。労力が違う。

子どもの環境を作るもの。それは、今まで生きてきた親の生き様そのものなのである。

たとえ子どもが興味を持ったものに親が興味を持てなくても、「子どもがそれを好きなら…」と用意できる親。何でも興味を持って「それ面白そうだね!」と言える親。自分は価値を見いだせなくて「そんなものより他の方がいいよ」と言う親。

みんなみんな、今までその人が培ってきた経験、考え方に基づいて行動している。

子どもの環境を整える。いろんな本で読んだ時にわかっていたつもりだったけれど。ようやく自分にちゃんと落とし込めた気がする。

子どもが小さければ小さいほど、親の影響は大きい。親の考え方が、価値観が、子どもの環境を左右するのだな。簡単に用意できるもの、用意できないもの。その日のおやつのような小さなものから、自転車やスポーツ環境のような大きくてお金のかかるものまで。どれも、親の興味や価値観が反映されているわけである。

さて私はどれだけ、息子の興味に寄り添えているかなぁ。違う人間だしお金も有限なので、当然、息子の好きなもの全てに興味を持ち、肯定し、環境を整えることはできない。

なるべく息子の興味関心の芽を摘みたくはないのだが。親の影響を考えて、息子の環境を整えていきたいのである。


ではまた明日。