ゆめねこ

図書館で『ゆめねこ』という本を借りてきた。


あるひの よる
ねこが やってきた
「やぁ けんちゃん あそぼうよ」

寝床に入ろうとするけんちゃんに話しかけてきた猫。そこから物語は始まる。猫の不思議な目を見ているうちに寝てしまったけんちゃん。朝起きたら、猫の耳が生えている…!

どうしよう
「おかあさーーん!」

はっと目が覚めるけんちゃん。鏡を見ると耳は無い。何だ良かった、夢か。でもよく見ると…今度は尻尾が生えていて。


というお話。1ページの文章は短いし、話自体も長くない。でも、ちょっと不思議でちょっと怖くて、「そう終わっちゃうのー!?」というお話である。


こういうお話を読むと、現実でもやってみる家が多いのではなかろうか。

実際我が家も

「息子は大丈夫?猫の耳になってない?」

「大丈夫だよ!猫の耳じゃないよ!」

と一緒に鏡を見に行ったりとか。本を読んだ直後はやってみた。そしてその後

「それは良かったにゃー。息子は普通の息子だにゃー(本の中に『にゃー』しか言えなくて困る場面がある)」

と言うのもお約束。

「お母さんは猫じゃないよ!」

「そうだにゃー。お母さんは普通だにゃー」

「にゃーにゃー言ってるよ!」

「そんなことないにゃー」

この辺でちょっと不安になってくる息子。

「お父さーん!お母さんがにゃーにゃー言うー!」

別の部屋にいた夫に報告するも

「お母さんは普通だにゃー」

夫よ、お前もか…。それはさすがに追い打ちになってしまうのではないか…? 案の定

「お父さんもお母さんも嫌いー!!」

ほら。こういうのはやり過ぎはいかんのだよ。ごめんね、と謝りつつ。

やっぱりこう、8割くらい嘘だろうと思いつつ、どこかで「本当かも」って気持ちもあって、不安なのかなと思う。


たまに保育園の帰りに息子の話を聞いている時、私が宇宙人になることがあって。

「今日ね、○○くんと遊んだんだよ」

「ソウカ、ヨカッタネ。ナニシテ アソンダノ?」

みたいな。

息子も宇宙人喋りになる時もあれば、「お母さんは普通のお母さんなの!」と言う時もある。これもやっぱり、余裕があるかないか、不安があるかないか、なのかなぁと思いつつ。

私は割と子どもの頃から宇宙人喋りが好きなので、息子がノッてくれるならもっとやるのだけれども。ままならないものである。


この辺の許容範囲も、子どもによって違うのだろうなと思いつつ。息子が怖がらない程度にたまに日常に混ぜていけないものかなぁと少し考えたのであった。にゃー。


ではまた明日。