本。傾聴のコツ

今日は本の話。『傾聴のコツ』(金田諦應、三笠書房)を読んだ。

著者は曹洞宗の住職である。東日本大震災の後、移動式傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」という試みを始めたらしい。お坊さんが被災地に行き、被災者の方々の話を聴くというものだ。「お坊さん、ちょっと聴いてもらいたいんだがね…」と来てくれた人の話を聴く。聴いてもらった人が少しでもほっとする、ほぐされる場所を作ろうと、自分たちにできることを始めた。

この本は、そんな試みの上で見えてきた「傾聴のコツ」が書いてある。よく「人の話を聴く時は最後まで聴く」「こちらの意見を言わない」等と見ることはあるが、実行しようとするとなかなか難しい。この本ではもっと踏み込んだ「コツ」が書いてあり、とても勉強になった。

特になるほどなーと思ったのは2つ。

1つは、「わかるよ」ではなく「伝わったよ」と返してみること。

よく話を聴くときに「わかるよ」と相手に共感するのがいいと言うが、本当のところその人の気持ちはその人にしかわからない。それなのに安易に「わかるよ」と言ったところで「わかるわけないじゃない」と思われてしまう。だから「伝わったよ」。それに加えて、「もうちょっと話を聞かせてくれる?」と言ってみる。すると相手も、更に話したくなるかもしれない。

たとえば友達同士でくだらないことを話していて「わかるー!」と言うのは、それはそれで良いのだと思う。それもひとつの共感だし、相手もそこまで深いことを求めていない。けれど、辛いことを話す時。胸の内に秘めたものを何とか外に出そうとする時。聴く側にも相応の誠実さというか姿勢が求められて、「伝わったよ」という言葉の方がしっくりくる、そんな場面もあるということなのだろう。「わかるよ」以外のバリエーションを持ち、その時々で使い分けできるというのは大事だなと読んでいて思った。

もう1つなるほどと思ったのは、傾聴とは「相手を全肯定する場」であるから、聴く側は「自己否定をしなければならない」ということ。

別々の人間が、全く同じ価値観、考えを持っていることなど無いのである。それでも相手の話を否定せずに聴くということは、自分の価値観と違っていてもそれを受け入れ話を聴き続けるということ。自分がその考えにならなければいけないわけではないが、その場で相手がそういう考えであることを受け入れなければならない。そのためには、「自分を否定する」「自分のフレームを壊す」という作業が多少なりとも必要になってくる。

人は何も意識しなければ、自分のフレームに当てはめて物事を考えてしまう。フレームの枠外のものは、理解しようとしなくなってしまう。しかし相手をまず肯定する必要のある傾聴の場では、相手が枠外だろうと肯定しなければならないのだ。そのために、自分のフレームを柔軟に変化させていく必要がある。相手の話を聴いていて自分のフレームにおさまらないものが出てきた時、そのフレームをもう少し広げたり、ずらしたり、変化させていく。それが、傾聴する側に求められることなのだ。

相手の話を聴いていて何か言いたくなるというのも結局それが原因で、自分のフレーム外のものだから「これはこうなんじゃないの」と口を挟みたくなってしまう。相手を変えようとするよりも、自分を変えようと試みること。それが、途中で口を出さないコツなのかもなぁと読んでいて思った。

全ての人が誰かに対して傾聴する必要はないし、人によって向き不向きはある。それでも傾聴が必要な人、場というのはどこかに存在するわけで、自分の目の前にその場があった時、少しでも相手の心が軽くなる手助けをできればいいかなとは思う。実践しなければ、本当のところ身にはつかないのだが。本を読んだことで、前よりは上手くできそうかなと感じてはいる。

仕事で傾聴が必要な人、家族や身近な範囲で人の話を聴く機会がある人は、読んでみると何かコツがつかめるかもしれない。


ではまた明日。