世代の差から学ぶこと

たまに夫と、将来のことを話す時間がある。今回は、「息子がもうちょっと大きくなったら、月に1度くらい実家に泊まりに行ってもいいな」という話だった。祖父母と接する機会を増やそうという話だ。

夫は小さい頃に同居の祖父母が亡くなったので、単純に生きているうちに接する機会を増やしたいという話だった。

私の方は今でも祖母(息子からすれば曾祖母)が存命で、祖父も20代半ばまで一緒に暮らしていた。長い期間暮らした経験を元に「祖父母と生活する機会はあった方がいい」と考えている。どうしようもない「世代の差」に触れることができるからだ。

私は生まれた時から祖父母と一緒に暮らしていたわけではなく、小学生の頃から一緒に暮らし始めた。今まではたまに帰省する時だけで、「かわいいかわいい」と言ってくれていた祖父母だが、共に暮らし始めると一変、怒られることが物凄く増えた。

人間、距離が近くなればなるほど、相手の悪いところが見えてくる。もちろんそれもあったのだが、おそらく一番の原因は「世代による考え方の違い」だ。生活のあらゆる面でそれを感じた。

祖父母にとっては子どもでも家のことを手伝うのは「当たり前」で、車で30分ほどかかる場所に買い物に行くのは「遠くまで行き過ぎ」だった。こちらが何かを反論しても、「これはこういうもんだ。何を当たり前のことを言っとるんや」とよく言われた。

子どもの私からしても古い考えで、今時そんなことしてる人がどれだけいるんだ、と思うことでも、祖父母にとってはそれが常識。こちらがいくら言っても自分の考えを変えることは無かった。

祖父母と孫の間には大きな大きな世代の差があって、これはどうにもならないな、と子ども心に痛感したものだ。

自分が生きてきた時代をベースに培われてきたものが、その世代、世代に間違いなくある。それを強く出すか、新しい考え方を取り入れようとするかは個人差のある事だが、その人の背後に、世代が培ってきた壁がどっしりと存在するのだと、その壁を取り払うことはおそらく不可能なのだと、私は祖父母と生活することで学んだ。

自分の両親に対しても。「親子」という関係だけの時にはあまり感じなかったのだが、子どもが生まれて「祖父母」としての両親を見ると、孫とは「世代の差」があるな、と感じる。やはり「親子」よりも「祖父母と孫」の方が、差がより顕著なのだろうな。

おそらく息子がもっと成長すれば、その「差」を煩わしく感じるだろう。だが、世代が違うというのはそういうことで、背景としているものがそもそも違うのである。それに気付き学ぶことは、これからいろんな世代の人、もっと広げていろんな国の人と関わっていく上で役にたつのではないかと思う。

自分で自分の世代の特徴を考えてもよくわからないが、私や夫も確かに何かを持っているのだろうな。いつか孫ができることがあれば、その差に気付くのだろうか。

時に煩わしく、時に「これはわかりあえない」と距離を置きたくなり、時に「昔はそうだったのか」と感心する「世代の差」。それはその人が生きてきた「証」であり、その人の「歴史」である。そう考えれば違いに寛容になれそうな気もするが。やはり面と向かうと「相容れない」と思うことが多いのだろうな。


ではまた明日。