狭い世界の話
これは正直、まだ記事として書けるほど自分の中でまとまっていない。
けれど書くことで整理されることもあるし。とりあえず感じたことを書いておく。
最近立て続けに「この人、狭い世界で生きてるなぁ」と感じることがあった。「だからその人が悪い」ではなくて。そうだなぁと「私が感じた」だけである。
人は自分が感じたものしか感じることができない。自分が感じたものが、自分の現実になっている。
だから彼女にとってはそれが現実で、自分が見ているものに「不公平さ」を感じて不満に思っているのだと思う。
でも私から見たら不公平でも何でもなくて、むしろ優遇されていて「優しい世界」、もっと言えば「ぬるい世界」にいるのだ。それを厳しいとあなたは言うけれども、もっと全体を見てみなさいよ。「自分だけ厳しい」なんてことは全然ないでしょう?
でも彼女にとっては自分が感じるものが全てでそれしか見えていないから、一度自分が「厳しい、不公平だ」と思えばそれは変わらない。自分のことしか見ていない。狭い世界で生きているなぁと思う。
多様性だなんだと言われて生きやすくなったと思うけど、まだまだ「ん?」と思うことは沢山ある。
「これっておかしいよね?」「そうじゃないでしょ!」「こうじゃないと!」
って言葉は昔からあったし今もよく聞く。その度、「いや、あなたの常識ではそうなんでしょうけど…」と思う。
あなたが見ているものがそうなのはわかった。それがあなたの現実なのでしょう。でもそれがあなた以外の人にも適用されると何故思うの?何故こちらも同じでなければいけないの?
「こうあるべき」を他人にも強制しようとする。きっと本人にその自覚はなくて、自分の考えを「常識、当たり前のこと」だと思っているから強く言える。他人が自分と同じ考えだと疑っていないし。仮に違ったとしても「自分が正しい」と思っているのだろう。
もっと言えば根底には「怖れ」があって、「自分を否定されたくない」というものもあると感じるけど、まぁ今回は置いておいて。
仮にそういう人に「こういう見方、考え方もありますよ」と言ったところで、おそらく受け入れてくれることは無い。自分の考えを押し付けようとしてくる人を見る度に、狭い世界に生きてるなぁと思う。
人は自分が変わろうとしない限り変わらないので。外に視線を向ける、外の意見を聞き入れる姿勢を自分が持たない限り、変わることは無いと思う。
狭い世界にいる人は狭い世界のまま。広い世界にいる人は、どんどん世界が広がっていくのだろう。
どちらが良いとか悪いとかではなくて。私個人的には広い世界で生きたいけれど。狭い世界がいい人は、自分の感じたものだけを信じていけばいいと思う。
いい、というか。そうとしかならない、というか。
私自身、広い世界で生きている人から見れば、狭い世界で生きていると思う。だから自分の考えが絶対じゃなくて、いろんな見方があるってことは忘れたくないし。いろんな見方を身に着けたい。
世界が広がるってとても楽しいし、狭い世界の人を見ると「勿体ないな」と正直感じてしまうのだけれど。でもそれは私の価値観だしな。自分がいいと思う生き方をしていけばいいし、そうとしかなっていかないと思う。
あんまりまとまらなかったけど、時間なので。とりあえず現状書ける、狭い世界の話なのだった。
ではまた明日。