スキの意味

noteにはスキ機能がある。自分が好きだと思ったらポチッと押すという、簡単に自分の気持ちを相手に伝えられる良い機能である。

私自身、いろんな方にスキしてもらったことがあるし、その何分の一程度だろうが私もスキをしたことがある。

正直、してくれた人全てには全然返していない。「してもらったからする」というのは、1日1回とかなら良いのだが多くなると大変で。それを自分に課してしまうと負担になることがわかっているのだ。

気持ちが無いのに機械的にスキはしたくない。スキをするには、記事を読んで、その記事の中に良いなと思うところを見つけないといけない。その上で初めて私はスキをできるので、全てのスキに対して返すことはできないのである。

フォローし合っている人や、よくスキをしてくれている人の記事は読むことが多いので、自然とスキをすることが多くなる。「この人お返しが無いな」と恐らく思われたこともあるだろうが、私の処理能力的に全てにお返しするのは無理なので、そこはごめんなさいとしか言いようがない。スキしてくれることはいつも有り難いし嬉しいです。ありがとう。


と、今日話したいこととは少しズレてしまったのだが、そろそろ題名の話を。

noteを始めて以来、これはスキをしていいのかどうか、悩むことが何回かあった。

誕生日や記念日や、そんな記事ならおめでたいしスキをすることにためらいは無い。「おめでとう!」という意味を込めてスキを押す。

しかしどちらかというとネガティブな記事だった場合、果たしてスキをするのは相応しいのだろうか?

何かに悩んでいたり、病気だったり、怪我だったり。そういう記事を見かけることも割とある。そういう時、「頑張れー」「いいことあるよ!」「お大事に」と心の中では思うものの、うまくコメントを書ける気もしない。励ましの意味を込めてスキを押したいものの。記事自体はネガティブな内容なわけである。この人に良くないことが起こっていると書いている記事に「スキ」と押すの?それって、その人の不幸に対してスキって言っていると取られかねなくないか?

もちろん大抵の場合、そういう風には取られないと思う。励ましの意味に取ってくれると思う。しかし相手に伝わるのは記事に対する「スキ」のみ。どう取るかは相手次第である。うーん、どうしよう。押すか押すまいか悩む。

しかし何もしないよりは。と、えいや!とスキを押す。これは励ましです。励ましの意味なんです!と念を込めつつ押す。相手に伝わったかどうかは不明である。となるとただの自己満足か。けれど何もしないよりは。

そんな葛藤が、noteを始めてから何度もあった。一体何が正しいのかわからない。スキという一言では片付けられない。しかし相手に伝えられるのは「スキ」のみなのだ。皆、スキの中にいろんな思いを込めて押しているのかもしれないな。

私にスキをしてくれている方も、何かを込めてスキを押してくれているのかもしれない。気軽な機能のようで、実は奥が深いのかもしれないな。


ではまた明日。