小説 空気 6 痕跡

  次の日の朝、玄関を出てからしばらく、明るい曇り空を見上げていた。少し気持ちが落ち着いてきたところで、学校へと歩き出した。

昨日お兄ちゃんと会った場所を通り過ぎた。
2人で座っていた所の草原に、痕跡が少しあるくらいで、あとは特に何も気配を感じなかった。

木立に入り、背後から車の気配がした。細い道の端へより、車が通り過ぎるのを待った。車の中で、近所のおじさんが微笑んだ。私はコクリと軽く会釈をした。

車が去って、道を歩き始めようと足元を見ると、コンクリートの道からはみ出ながら伸びる轍(わだち)があった。それが10メートルくらい先で急に森の中へ曲がっている。

急に、音が聞こえるくらいにどくどくと、心臓が奇妙に脈打ち始めた。怖いというよりも、知りたい気持ちが抑えられなかった。轍を辿って行った。

道路を外れ、森に入った轍は木の枝を数本潜った先で止まっているようだった。最後の枝をくぐり抜けると、小さな草原があった。そしてすぐに見つかった。
見覚えのある、踏みつけられて萎れた蓮華草。柳のように揺れている自分の腕の先に見えた、車か何かに踏みつけられた蓮華草。誰かにわかってもらえる物ではないかもしれないが、私には十分すぎる証拠だった。

昨日、お兄ちゃんは、なぜかとても眠くなった私をここへ連れてきた。
そして、少し先にある轍の行き止まり、ここに白い車があったのだろう。
その車の中に押し込まれて。

「カアカアカアカア」
急にカラスの声が聞こえてきた。この声も聞き覚えがあった。

急に誰かに見られているような気がしてきた。
辺りを見回しても誰もいなかった。

「僕は知ってる。見てたから。」
カラスに言われているような気がしてきた。

私は道路へ戻り、学校へ向かって走り出した。
そして、何かから夢中で逃げるように走って行った。

学校の校門を過ぎると、すぐに始業のチャイムが鳴った。
教室まで急ぐべきだったかもしれないが、安堵感と、上がった息を鎮めたいのとで、全く走れなくなった。

ゆっくりと校舎の階段を登って行った。教頭先生とすれ違った。普段通りに挨拶をした。自分が普通通りに振る舞えている事に驚いた。

私はそのまま、出席名簿の読み上げが聞こえてくる3年1組の教室の戸を開けた。

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