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非合理な特殊解 13

夏子はエレベーターで地下2階に降りた。そこから伸びる暗い廊下の左側に、電話で聞いていた通りの緑の鉄のドアが3つ見えた。1月の午前0時。外よりは幾分か暖かいはずだが、剥き出しのコンクリートの壁や天井には、それを感じさせない冷ややかな殺風景さがあった。夏子は出来るだけ足音を立てないように気をつけながら、廊下の一番奥のドアへと歩き出した。
1つ目のドアを通り過ぎた。そこら中の壁から自分の足音が大きな音になって聞こえてくるように感じられた。
2つ目のドアへ近づくにつれて何人かの男の笑い声が微かに聞こえてきた。意外とドアの向こうの部屋は狭いのかもしれない。
一番奥のドアまで来ると、インターホンのようなものを一応探してみたが見当たらなかった。ドアに耳を押し当てても何も気配も無かった。そこで夏子は2度、軽くドアをノックした。すると、
「誰?」
声とともに足音が近づいてきた。気配が無いと思っていたのに、意外と近くに人がいた事に夏子は驚いたが、その足音に向かって答えた。
「あの、ご連絡いただいていた近藤です。」
夏子が言い終えるとすぐにドアが開き、背の高いスキンヘッドの男が顔を出した。その人は妙な顔をしながら夏子の頭から足までを視線で往復してから、
「入って。」
と言ってドアを大きく開けた。夏子は男の顔を見た瞬間なぜか、ワンピースから太めのジーンズとパーカーに着替えてきて良かったと思った。その男が部屋の方に視線を移していた数秒で、腰まであるストレートヘアを束ねてパーカーの中に隠し、首を覆うようにパーカーのフードを立てた。雰囲気だけボブカットになった。

中は狭い事務所で、目につく物は机と椅子とPCが2.3台だけだった。部屋の奥にはドアがもう一つあり、その男以外には誰もいなかった。

木田というその男は、夏子の向いに座るとタバコに火をつけながら言った。
「あの人から仕事の内容は聞いてる?」
「エマからですか?メッセージ送るとか、データ入力とか聞いてますけど。」
「そう。顧客対応だよ。」
タバコを吸いながら夏子をまじまじと見て、不敵な笑みを浮かべた。
「どのようなお客さんですか?」
夏子は通常の、上司と話す時のような何気ない態度で質問した。
「ウチはね、サイトをいくつか運営していてね。友達を見つけたい人向け、遊び相手を見つけたい人向け、恋人を見つけたい人向け、結婚相手を見つけたい人向け、それぞれチームで顧客対応をしてるわけ。」
「顧客対応?」
「出来たばかりのサイトだから。」
「ということは。」
「仮名で登録者になってもらって、他の登録者と楽しく交流してらう。」
「出来たばかりだからとおっしゃっていましたが、期限はありますよね?」
「いや、今のところ当面、期限は設けないね。ちなみに、一応履歴書出してくれる?」
「あ、はい。どうぞ。」
木田は灰皿にタバコを置いて履歴書を読み始めた。
この事務所も妙に殺風景だった。壁にカレンダーはあるものの、特に書き込みもない。夏子が座っている所から見える2台のPCの画面には、アイコンが見えなかった。あまり使っていない事務所なのだろうか。
「あのさ、ちょっとキャラクター作ってくれる?」
木田は履歴書を読みながら言った。
「キャラクターですか?」
「そう。今すぐ。何でもいいけど、恋愛したいのに出来なくて拗れてる感じが出てると面白いけど。」
「そうですね。。。」
夏子は色々な顔を思い浮かべた。
「休み時間になるとお気に入りの女子生徒を放送で呼び出し、彼氏のいるクラスへ行かせないようにする高校教師とかですか?」
「ダメ。普通すぎる。」
「これ普通なんですか?」
「ああ。全然ダメ。もっと無い?」
木田の無表情さが怖くなった。夏子は木田の表情の変化を見てみたくなった。
「そうですね、違法風俗店摘発で連行してきた不法滞在の外国人女性の取り調べを入念にしまくる入国管理官とか?」
木田は履歴書から夏子へ視線を移した。
「入念って?」
「個人データ確認や滞在歴、その仕事やその店に至ったその経緯とか調べなきゃならないことはさっさと済ませて、今までに出会った客で個性的?な客とか、個性的?なサービスを強要してくる人がいなかったか?それはどんなのだったのかって詳しく聞いて、家にある個人調書へ毎日せっせと記入している入国管理官。」
夏子は淡々と答えた。
「ははは。そんな奴いるの?」
木田は身を乗り出して夏子の顔を食い入るように見た。
「いるって言ってませんよ。今作りました。」
夏子もさらに淡々と続けた。
「はは。どちらでもいいや。奥のドア開けて奥の島の右端にいる髪長い奴のところへ行って。」
木田は履歴書を鞄に仕舞い込んだ。
「でも、あの、私多分、この仕事向いてなさそうです。」
今更ながら木田の知りたかった事が履歴書になんて最初から無かった事に気がついた。夏子は間違った対応をしてしまったと思った。
「は?何言ってるんだよ。慣れればもっと楽しくなる。早く行って。」
「・・・。」
木田は上機嫌になった。どうやらとても夏子を褒めている雰囲気だった。夏子は、褒められてこんなに嬉しく無い事があるものなのかと思った。
やはりやめておこうと、夏子が事務所の入り口の方へ振り返ろうとすると、
「別に帰ってもいいけど、約束、覚えてる?」
と木田がまた怖い無表情を向けてきた。
「はい。」
夏子は力無く返事をした。
「エマもこの仕事をしていたのですか?」
「そうだよ。君の席、あの子の席だったところにするよ。」
そう言うと、木田は手で早く行けと言った。

夏子は項垂れながら部屋の奥のドアへ歩き出した。
今のキャラクターを作ってという課題の解答は、やはりあれではなかったと後悔した。巻き戻してやり直せるなら、何時間でも突っ伏して、分からない分からないと言って粘って、とうとう追い出されるっていうのが大正解だった気がしてきた。

ドアを開けると、数段階段を降りた所に予想外に広いオフィスが広がっていた。そこには1つ15名位の机の島が4つ奥から並んでおり、一番手前の島とその他の島は透明な壁で仕切られていた。一番手前の島はギャル系の女の子半分、普通の女の子半分で構成されているチームだった。普通のオフィスのような雰囲気で、夏子はその島の横を通る時、コールセンターの仕事をしていた時の雰囲気を一瞬思い出した。

しかし、夏子の席はここではないらしい。

透明な壁の片隅にあるドアを開けて隣の部屋へ入った。
ドアを閉めると異様な雰囲気になった。聞こえてくるスタッフの会話が怖くなった。明らかに誰かを罵っていた。
「この人超面白い。見て見て。ウケる。」
「はは。絶対に自分に気があると思い込んでるなコイツ。調子に乗らせて事故らせよう。ははは。」
奥になるにつれて内容がより怖くなった。
「どうするよ、会いにきちゃうらしいよ。」
「え、マジ?見せて見せて。はは。」

夏子はすでに嫌になってきた。見たくも聞きたくも無い事しか無い所に来てしまった。早くも退職理由を考え始めた。

程なく、部屋の一番奥の右端に座る、赤いシャツを着た長いストレートヘアの男に声をかけた。
「すみません、あの、木田さんから言われてきました。」
その男は一瞬ジロリとこちらを見ると、すぐに視線をスクリーンへ戻した。
「あ、あそこ。この並びの一番端。」
髪の長いその男は仕切りにキーボードを叩きながら、顎で席を差しながら言った。
夏子は頷いて、その席の方へ向きを変えようとした。すると長い髪の男が研修慣れした流れ作業のようなトーンで言った。
「あの、橋本と言います。あなたは?」
「近藤です。」
「近藤さんは経験者?」
「経験者?いいえいいえ。エマの友達で。」
夏子は経験者?と聞かれた事に驚いた。こういう事にも業界があるのかと。
「ああ、あの人の。じゃあ、席にあるPC立ち上げてもらっていいですか?」
「はいわかりました。」

夏子は自分の席に着くと電源を入れた。すると程なくして透明な壁のドアが開き、木田が大声で言った。
「おい橋本。その新人に今日はにとりあえずキャラクター沢山作らせて。」
「あ、はい。」
橋本は返事をすると、夏子に言った。
「近藤さん、立ち上がった?立ち上がったら入力方法教えるから。」
「はい。立ち上がりました。あの、ここは何のサイトのチームですか?」
「え?チーム?そうだな。一番何でもありな所だよ。」
「ここと隣の島は女の人いないですよね?」
「いることはいるよ。隣に1人。」
「明らかにに透明な壁の向こうのチームの仕事の方が向いていると思うのですが。」
「木田さんからの命令だから。未経験でここ来るって今まで無いかもね。しかも女でね。」
橋本も褒めてるふうに言ったが、こちらは嬉しく無いんだよ!と夏子は思った。

「木田さんのところでした感じでここにキャラクターの特徴を入力していって。一人一人新しいページ作ってね。」
「どんなの作ればいいですか?」
「変な女。30代、40代、50代くらいのがいいかな。20代は他の人も割と作りやすいから。隙の多そうな感じでもいいし。とりあえず10個作って。」
「とりあえず10人のキャラクターの設定を作るんですね。」
「うん。終わったら言って。」
「はい。分かりました。」

こんなことは出来るかできないかで言えば全然楽勝だと思った。ただ、どうも具合が悪い。すべきではないことをしているのは分かっていた。こんな事に慣れるなんて事があるのだろうか。夏子は頭の半分で退職理由を考えた。
そしてもう半分の頭でここへ来る時に乗った車両の風景を思い出した。その中の30代以上の人の外見や雰囲気を思い出して、想像していった。夏子はサクサクとキャラクターを作っていった。

夏子はあっという間に10人のキャラクター設定をした。
「橋本さん、出来ました。」
「あ、そう。え?早っ。ちょっと待ってて。今手が離せなくて。」
「はい。」
夏子は改めて広い室内を見回した。統一感の一切無い服装、雰囲気の人たちがPCに仕切りに入力している。橋本は猛烈に何かを入力している。

「どこが立ち上げたばかりのサイトなのよ。」
年期の入った床のキズや壁の張り紙の多さを見回しながら、夏子はそう呟いた。すると同じ島の斜め前に座る、痩せた年齢不詳の男がチラリとこちらを見た。夏子は慌てて首をすくめてパーテーションに顔を隠した。

「あの、出来たもの見せて。」
橋本がいつの間にか夏子の背後に立っていた。夏子は慌てて席を立ち、橋本へ譲った。橋本はしばらく画面を眺め続けた。
「九番目の人だけ、キャラクターが四番と被るから消して。それ以外は使えるかな。もう10個宜しく。」

こんなに空想、妄想力が試される事が今までかつてあっただろうか。想像力が発揮できて喜んでいる自分と、自分自身の倫理観とが、ひどい喧嘩を繰り広げているのが夏子には分かった。愉快になった瞬間にひどい罪悪感が襲ってきた。今までには感じたことのない葛藤だった。

まだ業務開始から30分も経っていなかった。とにかく早く終業の6時にならないかなと願った。

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