見出し画像

非合理な特殊解 11

夏子は自転車で人形町まで戻ると、通りのからくり時計は7時40分を指していた。エマとの約束は7時半、もうファミレスで待っているだろう。夏子は借りていた自転車を大急ぎで近所の友人に返すと、水天宮近くのファミレスへ向かった。
窓の外から店内を覗くと、いつも朝にいるラジオ体操帰りの老人たちの隣の席で、エマが携帯を眺めていた。夏子は嬉しくなった。

夏子がエマへ手を振ると、エマはすぐに気が付いた。会計を済ませるとエマは微笑みながら外へ出て来た。
「あけましておめでとう。」
「おめでとう!ようこそ。やっと来てくれた。」
夏子は荷物を持っていない方の腕でエマの首に抱きついた。
「ファミレスの中で、やっぱり帰ろうかな、なんて思ってた。」
二人は夏子の部屋へ歩き出した。
「そうかなとも思ったよ。ごめんごめん、遅れちゃって。早く来ようと思ったのに中々仕事が終わらなくて。良かった、エマが帰らなくて。みんないい人たちばかりだから心配しないで。楽しみに待ってるって。」
「え、どうして知ってるの?」
「つい5分前くらいに自転車を返しに、あのマンションのお神輿の人のところへ寄ったの。」
夏子は通りを歩きながら、近くに見えるマンションの一つを指差した。
「その時ね、インターホンでお礼して、後ほど水天宮で会いましょう!という話になって。なっちゃんはお友達の女の子と一緒に参加しますって言ったら、会えるの楽しみにしてるって。」
「そう。じゃ、帰らないで良かった。」
「うん。エマは前より外に出るようになったね。」
「そうかな?」
「うん。嬉しいよ。ママのところへは旅行するのはどう?」
「夏子も一緒に来る?」
「旅行なら。」
「そういう事か。ごめん夏子。」
正月の朝から、少し気まずくなった。

部屋は高速道路近くのマンションの3階だった。なつこがエレベーターの中で何を話そうかと考えていると、
「美味しそうないい匂い。」
とエマが言った。夏子が袋を軽く持ち上げて言った。
「何だと思う?」
「そうね、色々ありそう。」
「実は私にも分からないの。4時頃少し休憩してた時、そのお店の元々知り合いの店長に、2人で朝に食べられる美味しいもの2000円くらいのをお願いしておいたの。おせちがわりね。まだ私も中を見ていなくて。何だろうね。」
「そうなの?早く見ようよ。」
「うん。」
急いで部屋へ入ると、テーブルへ袋の中の箱を取り出した。包み紙で分からなかったが、3段の箱になっていた。
「何だかおせちみたい。開けよう。」
「うん。」
一つ目の箱は揚げ物系4種類。私の好物の枝豆の揚げた料理も入っていた。二つ目には炒め物3種類、3つめの箱には大学芋や葛餅などが入っていた。
「これ私の好物ばかりだわ。店長にお礼しなきゃ。絶対2000円じゃないから。」「そうだね。」
「本当は2000円も要らないって言われたけど、タダで頂いてしまったら、明日も来てねと言うのを断りにくくなるじゃない?だからお金を払ってきたよ。」
「そうね。それにしても、この量、これ二人で食べられないね。」
「初詣に持っていこう。」
「そうか。そうね。」

8時半、水天宮の石の階段の前にはもう既に何人か集まっていた。みんなにエマを紹介すると、とても歓迎してくれた。みんな出会って間もないけど、頭や髪を撫でたり肩を組んだり、いつも夏子にするように、もみくちゃにエマのことも可愛がってくれてた。意外にもエマがそれを嬉しそうにしているのを見て、夏子は嬉しくなった。

初詣後の会食でもエマはとても楽しそうにしていた。夏子は料理を分けながら、そんなエマを眺めていた。眺めながら、エマがこのまま日本に居るためには何が必要なのかと考えていた。

夏子とエマは昼過ぎに夏子の部屋へ戻った。
「夏子は早く眠ったら良いよ。お風呂沸かすね。」
エマは部屋へ戻るなりお風呂場へ入って行った。

エマが給湯ボタンを押してお風呂場から出ると、夏子は玄関に座ったままウトウトととしていた。
「夏子、話があるんだけど。」
エマは夏子のそばに座り背中に抱きついた。
「何?」
「少しの間だと思うけど、私の家に一緒に住んでよ。」
「エマ、嬉しいけど、私ここを離れたくないの。」
「引っ越したら、今日会った人達と会えなくなると思うってこと?」
エマの言葉で、夏子は漠然とした不安に気が付けたような気がした。
「う、うん。そう。」
「夏子、多分ね、引っ越したとしても、大丈夫だと思う。今日会った人たちは夏子のことを近所に住んでいるからだけで可愛がってくれてるわけじゃないと思うよ。心配しなくていいと思う。それより今月から収入が減るわけだし、私の家に来たら良いよ。来週から始まる夜のバイトだって、ウチからの方が通いやすい。すぐに引っ越そうよ。」
「うーん。」
「収入が安定したら、またここへ引っ越せば良いよ。」
「うーん。そうね。それもそうね。今一番大事なことはエマと一緒にいる事だったわ。後悔しちゃうところだった。ありがとう。すぐに引っ越そう。いつならいい?」
「いつでもいいわ!とりあえず、夏子、お風呂入ろう。」
「うん。ありがとう。」
エマが夏子の手を引いて、二人はお風呂へ入った。

夏子はお風呂から出ると、すっかり目が覚めてしまった。次に眠りたくなるまで、引っ越しの配送業者を探す事にした。大手の会社ではなく、電話帳に載っている個人業者へ端から順に電話をかけ始めた。正月から電話に出てくれる業者は少なかったが、48件かけたところでやっと見つかった。
「引っ越し日はいつですか?」
「できるだけ早くですがいつになりますか?」
「来週の月曜日はどうですか?」
「大丈夫ですけど、明日は難しいですか?お正月で申し訳ありませんが。」
「明日は夕方くらいまで色々あって難しいかな。まずスタッフ見つからないですよ。」
「夕方からでも構いません。荷物も多くはありませんし、私も運びますので、どうかお願いできませんでしょうか。」
「あなた女性でしょう?運ぶって言ったって。」
「社長さん、私見かけよりは運べるタイプだと思います。腕力には自信がありますから。」
「そう?17時から始めて、荷物を運ぶことはしますが、あまり片付いてなかったとしても21時には帰らせてもらいますよ。それでもいいですか?」 
「はい。」
「では。明日17時にお伺いしますね。」
「宜しくお願いします。ありがとうございます。」
夏子はガッツポーズをした。
「ということで、エマ、明日から宜しくお願いします。」
「夏子すごい。話が早い。でも出来るの?1日で荷造りできる?」
「多分出来る。けど、今は一回寝てみるね。それから頑張る。」
「そう。じゃ、私はお家に帰って荷物置ける所を作っておくね。」
「ありがとう。宜しくお願いします。」
「うん。じゃぁ。」

エマは家へ帰り、 夏子は眠りについた。思いがけなく急にここで過ごす最後の晩となった。引っ越しなんて難しいと思っていたが、こんなにもあっさりと気が変えられる事に夏子は驚いた。 自分を無意識に縛っていたロープが一本切れ、少しだけ自分の自由度が上がったように夏子は感じたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?