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和菓子と平和な日常

「菊の形の干菓子があるよ。誰のページに載っていたのか忘れちゃった。」

ここはスーパーマーケットの四隅の最終コーナーにある小さな和菓子売り場。お盆前のこの時期は、色とりどりお供物のお菓子が、普段より多く並んでいた。

特に干菓子は一際目立つ。桃色の蓮、白や黄色や紫の菊、青に近い桔梗のような花、笹のような形の緑。

娘は、最近気に入っている本、和菓子とそれを愛した人たちが書かれたその本のページをどうやら必死に思い出しているらしかった。


私が淡々と買い物を進める中、娘はいつの間にかいなくなった。私が店内の第三コーナーあたりまで来た時、最終コーナーのあたりで何かに見入っている娘を確認した。だからもう5分以上和菓子売り場を動いていないことになる。

私は娘の言っていることの意味がよくわからなかった。

菊の干菓子?誰のページとは何?

とりあえず、軽くうなずいたようなことをしてみた。


しばらく沈黙した後、

「あ、そうだ三島由紀夫だ。」

娘が嬉しそうに言った。

「そうなの?知らなかった。」

よく分からないうちに、とにかく、解決したようだ。


そういえば一昨日、こんなことがあったなと思い出した。

「お母さん、ワリハラジサツって何?」

「ワリハラジサツ?聞いたことない。」

「三島由紀夫がやったこと。」

「あ、それはカップクジサツと読むんだよ。刀で自分のお腹を割いて死ぬこと。」

「えー!何でそんなことするの?」

娘のギョッとした目たけが見えた。鼻の付け根から下は、桃色の和菓子の本で隠されてこちらからは見えなかった。

子育てしてると、こんな難しい質問がたまに飛んでくるのが面白い。

「そうだね。。。何でだろうね。。。自分の命に代えても世の中に伝いたい強いメッセージがあったのかな、永遠に名前を残したかったのかな、、。」

困っている私を見て、娘はでキョトンとしている。全くわからない、という顔をしている。そしてまた、本に目を落としていた。

娘は、もう全く違うことを考え始めてるようだ。

一方、私には問いが残った。

三島由紀夫さん、こんな激しい感情や情熱は、どこから来たのですか。


「お母さん、私ね、この前のお茶のお稽古の時に思ったの。つぶつぶのある羊羹より、やっぱり練り羊羹が好き。これ何個買っていい?」

一切れサイズの羊羹をいくつか手に持っている。

私はピースサインをした。

娘はニコッとして2つカゴに入れた。

娘はお茶のお稽古が大好きだ。そこで毎回出される、日本各地のお菓子、色とりどりの季節感のあるお菓子に感動したようで、以前は全くだった和菓子を、今では好んで選ぶようになった。

そして先日、いろいろな和菓子が載っている本が欲しいとせがまれた。そこでネットの本屋で探してみるとにした。

最初は和菓子の図鑑のような本にしようと思った。季節や情景、背景知識は大切だ。でもどことなく味気ない。そんな感じもしながら画面をスクロールしていった。すると、ある本で手が止まった。

「和菓子を愛した人たち   虎屋文庫」

内容は詳しくは分からなかったが、この本からは情緒しか感じられなかった。この本を買うことにした。


「ねえお母さん、スーパーには葬式饅頭は売ってないのかな。」

「え、多分売ってない。葬式饅頭って、お葬式へ来てくれた人にお礼として返す物の中の一つだから。あまり縁起のいいもんじゃないよ。」

今度は何考えてるんだろう、と内心吹き出しそうになったが、私はそう淡々と答えた。

「じゃ、お葬式に行かないと、饅頭茶漬けは食べられないのか。」

「饅頭、茶漬け?饅頭をご飯に乗せてお茶かけるの?」

私は意外な組み合わせに驚きながら、少し残念そうにしている娘に聞き返した。

「うん。森鴎外の好物。ご飯に、饅頭を割って乗せて、煎茶をかけて食べるのが好きだったんだって。」

「へえ、そうなの。」

葬式饅頭って、確か、白い薄皮饅頭のような感じだった気がするな、と思い出しながら、ぼんやり目の前の和菓子を眺めていたら、下の方にそれらしい物を見つけた。

「葬式饅頭って、多分こんな感じだよ。」

私は指さした。

「へえ。。。」

きっと今、娘の頭の中はこうだろう。お椀に入った熱々のご飯があって、その上に饅頭を手で割って乗せて、煎茶をかけて、匂いだけ嗅いで、食べようか迷っているだろう。

「今日は羊羹買うからいいや。」

娘はしばらく考え込んでから言った。

私は娘が考えている間、わらび餅を買うか葛切りを買うか迷った。どちらも涼しげだけど、何となくわらび餅にした。



夕食のお椀に入ったご飯。食べる前にふと、読んでみたくなった。

「ねえ、和菓子の本、どこ?」

娘に聞くと、どうしてご飯中に?と少し嫌そうにしながらも、カバンの中から取り出して持ってきてくれた。

森鴎外の饅頭茶漬けのページのあたりを読んだ。本当のようだ。本当に饅頭茶漬けを好んで食べていたようだ。しかも家族でみんなで。味はさっぱりしているらしい。

今私の目の前にあるご飯の入った茶碗に、饅頭を乗せて茶をかけてみたところを想像した。

「あんな甘いやつはやめとけ。」

お椀の底の方から聞こえ気がした。

「よりによってなぜ米なんかと一緒にならないといけないんだ?」

お椀の上の方からも聞こえる気がした。

ごちゃごちゃうるさいな、と思いながら、食べてみる。想像してみる。。。

うん。よく分からない。


ついでに、三島由紀夫のページも読んでみた。そこには、彼が菊型の干菓子が好物とは書いていなかった。ただ、彼の書いた小説の中で、それが、過ぎ去った甘い、でも乾いた感じを表現するのに効果的な役割をしていたそうだ。

私はきっと薄情なのだと思う。だからきっと強く怒ったり恨んだり愛したり出来ない。これはこれで、ある種の防衛本能だと思ってきた。

三島由紀夫はきっとそんな私とは対極的な人なのだろう。これまでに何度か三島由紀夫の本を読み始めたことがあるが、途中で怖くなったり嫌になってきて、最後まで読めたのはほんの数冊しかない。

「あの、お母さん。ご飯中は本読んじゃいけないって。本が汚れるでしょう。お母さんがいつも言ってるんだから、自分も守って。」

「あ、そうだね。」

娘に叱られてしまった。

そして少し冷たくなったご飯を食べ始めた。



夕食後、娘は羊羹の刺さったフォークを片手に、中国史の漫画を読んでいた。学校の成績に一切関係のない、多くの人があまり興味を持たないことに興味を持ってしまう不器用な感じが、私そっくりだ。

私もわらび餅を用意した。

そういえば、わらび餅のページをまだ読んでいなかった。テーブルの下にまだ置きっ放しだった例の本を取り出して蕨餅のページを探した。

谷宗牧という戦国時代の連歌師のページで蕨餅を見つけた。この人は京都を拠点に、日本各地の大名が開く連歌の会に参加していたそうだ。旅の途中、日坂(静岡県)の茶屋で出されたのが蕨餅だったとのこと。

蕨餅は美味しい。安定の優しい味だ。そして透明で涼しげ。夏に最適だ。


ふと、買い物の時に蕨餅ににしようか、葛切りにしようか迷っていたことを思いた。そして、葛切りのページを探した。

葛切りに関する記述は見つからなかった。

しかし、葛練りというお菓子の記述があった。

それは、名越佐源太という、幕末の薩摩藩士のページにあった。この人は、島津家のお家騒動で、5年間、奄美大島へ島流しとなったそうだ。

料理が得意な名越佐源太は、ある日、葛素麺を振る舞おうとしたところ、失敗してしまい、料理が固まってしまった。それが葛練りだ。

葛素麺は、想像すると、葛切りのような物なのではないかと思った。ということは、葛練りは葛切りの失敗作なのかな。

失敗してしまってもそれを客人に振舞った。その人は、自分のその失敗を小話にし、さらに場を和ませたのかな。そんな空気が、この小宿には流れていたのかもしれない。

薩摩藩の圧政下にあった奄美大島で、薩摩藩士は普通なら嫌われ者だ。しかし、この名越佐源太いう人の小宿には、人々が毎日のようにお菓子を持ってきてくれたと、彼は日記に記している。

何という人間力。どのような徳を積めばこの人のようになれるのだろうか。

妻子とも離れ離れでも、その寂しさや辛さは一切見せず、常に誠実だった名越佐源太という人。

どんな佇まいだったのだろう。どんな声をしていたのだろう。


この本は、きっとこれからも、私や娘の生活に絵大きく影響を及ぼしてくるのかな。そして、色んな人の色んな人生を思いながら、これからも和菓子を食べるのかな。

私の、妄想が始まってしまうタイミングがまた一つ増えてしまった。

人生、いくら時間があっても足りないなぁ。困った。


それでも、次にスーパーへ行く時は、葛切りを買おう。そう決めた。

そして、本を閉じようとした時、饅頭茶漬けの写真が一瞬見えた。

これもご縁か。

薄皮饅頭も、買ってみよう。

挑戦してみようかな。饅頭茶漬け。


#読書の秋2021

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