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私の犬

 竹永雄二は首に異常な重さを感じ、その朝は目覚めた。何気なく雄二が首に手をやると、その異変の原因が分かった。彼の首には首輪が取り付けられていたのだ。まるで飼い犬がそうされるように。数mほどある鎖を介してその首輪とベッドはつながれ、雄二はその鎖が届く範囲のみしか動けない状態になっていた。美奈子の悪ふざけだと思い、雄二の顔に思わず笑みがこぼれる。
「おい美奈子、なんだよこれ。」
 台所で朝食の準備をしている美奈子に言う。
「なんだ、もう起きちゃったんだ。」
 抑揚のない声で美奈子は言い、フレンチトーストを乗せた皿をテーブルに運ぶ。
「なんだじゃないよ、いいから早くはずせ。」
「そうはいかないんだよ。」
「なんでだよ。いいから早くはずせよ。」
 半分笑いながら雄二は美奈子に言う。
「私だって、こんなことはしたくなかったんだよ。」
 思いのほか真剣な表情でこう言ってのける美奈子に、雄二は面食らった。
「何言ってんだよ。意味が分かんねえよ。」
「これ朝ごはんね。」
 美奈子は雄二の要求を無視する。首輪をつけたまま、彼はベットからテーブルに移動した。
 終始お互い無言のまま、朝食を食べる。気まずい空気が二人の間を流れた。なぜこんなことをするのか、雄二は尋ねたものの、そんなの自分が一番よくわかっているでしょ、といって美奈子は取り合わない。美奈子は朝食を平らげると、「じゃあちょっと出かけてくるね」と言って化粧もそこそこに出かけてしまった。
 彼女が出かけた後、雄二はなんだか体調が悪くなり、再度ベッドの中にもぐりこむ。脳内で美奈子が彼を罵倒する映像が再生される。あぁまたか、と雄二は思い、犬のような唸り声をあげる。

 美奈子は雄二と同棲している家を出ると、涙がこらえきれなくなった。彼の生活は私が管理しなければならないという責任感で押しつぶされそうだった。
 彼の異変に気付いたのは最近だった。たまにろれつが回らなくなり、意味不明な言動を繰り返すことがあり、不思議に思っていた。その時は酒に酔っていたのだろうと軽く考えていたが、ある日美奈子が家に帰るとベッドに横に横たわり、たびたび唸り声をあげる雄二と、テーブルの上に得体のしれない白い粉が小さなジップロックに入っていることを確認し、彼女はすべてを悟った。彼は完全に薬物依存症に陥っていた。これからは自分が飼い犬のように彼を調教し、正常な人間に戻してやらねばならない。そのためには、どんな手段もいとわない。場合によっては、首輪だけでなく手錠や足かせなどで徹底的に彼の動きを制限することも必要になるかもしれない。違法薬物におぼれる彼は、人間としての理性を完全に失い、ただただ束の間の快楽を求め続ける、野性的な"犬"だ。
 今頃は禁断症状でうなされているだろう。美奈子は幻想に苦しむ彼を思うと、今後全く光が差し込む気配の見せない自分の人生に、絶望感しか見いだすことができなかった。


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