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文鳥

 毛が白色だったからという安易すぎる理由でシロと付けた名付けたその文鳥は、掃除のために鳥かごを私が開けた瞬間を狙いすまし、この東京の青い空に自由を求めて飛び立っていった。毎日毎日欠かさず餌をやり、臭いと思いつつも適度に鳥かごの掃除を行ったのにも関わらず、その恩も知らずに彼は自由を求めて飛び立っていった。きっと鳥かごという閉鎖的な空間に嫌気がさしていたシロは、この世界の広さに驚愕していることだろう。
 もともと彼女に振られて一人になってしまった悲しさに耐えきれず、飼いだしたその文鳥は、僕の予想をはるかに超えて悲しみに打ちひしがれる僕を癒してくれた。たまに部屋で放し飼いにすると、僕の肩に乗って楽し気に鳴いた。私が餌を与えることでシロは楽に食事が得られることができる代わりに、彼は僕に服従することで僕の孤独をいやすという共依存の関係は実に簡単にもろくも崩れ去った。なついているように見えたのは、見せかけだったのだろうか?何気なく鳥かごを見る。シロがいない鳥かごはただのヒエ、アワなどの穀物の残骸置き場と化している。
 私の立場としては、5年間も手塩にかけて育ててきた文鳥にあっけなく逃げられてしまったという喪失感と言ったら筆舌しがたいほどだ。朝はシロのさえずりで起き、彼に餌を与えることから始まった。いつもの習慣で、シロの朝ご飯を準備しようと思うや否や、もうその必要はないのだと思いなおすということが毎朝続いている。習慣の力はすごいなと一人で苦笑する。
 シロのことが諦めきれない私は、往生際が悪いとわかりながらも町内の電信柱に張れるだけ張り紙を張り、目撃情報を収集することにした。ワードで作成したA4サイズの紙に、シロの写真や私の連絡先を載せた。毎日メールを確認していたが、なかなかメールは来なかった。来るのはいたずらメールばかりである。ただただ「まぬけ」や「馬鹿じゃん」とだけ書かれたメールは可愛いもので、悪質なものは件名に「シロらしき文鳥を見ました!」と期待を持たせる記述があるのにもかかわらず、本文を見ると「でもどこで見たか覚えていないんですよね」と悪意しか感じられないメッセージをご丁寧に送ってくる輩もいた。どれだけ彼らは暇なのだろうか?人の心を踏みにじるような行為を平気でやってのける民度の低さに、私は心底怒りが湧く。
 心無いメールにいら立ちを募らせながら、張り紙を張ってから1週間後、ようやく1人の人間から信頼できるかもしれない連絡を得た。シロらしき文鳥を見たというのである。メールによると、私の自宅付近に流れる川の岸辺の木に、文鳥らしき鳥が止まっていたというのである。
 期待値は大分低かったが、早速メールで連絡のあった場所に行ってみる。この川の岸辺には、多くの木が立ち並らんでいたが、一つ一つしらみつぶしで探していく。しかし、ずっとその場所にとどまっている理由もなくシロらしき文鳥の姿は見つからない。
 3時間ほど歩いたであろうか?もう今日は帰ろうと思ったその時、聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。私はシロの名前を呼ぶ。すると私の目の前にある木から、その白い羽を広げて飛翔するシロが現れたのだ。私は再度シロの名を叫ぶ。これまでの思い出が呼びがえる。
 一度鳥かごでぐったりとした状態でいたシロを、深夜にもかかわらず急いで獣医のもとに持っていき、何とか一命をとりとめた日。仕事で失敗した日、家でやけ酒する僕に、鳥かごから部屋に放たれたシロがそっと寄り添ってくれた日。僕が高熱でうなされているとき、弱弱しく鳴いて心配そうな様子を見せていた日。これまでのいろいろな出来事が、脳内に駆け巡った。
 シロもきっと同じ思いなのだろう。シロがこちらに向かって飛んでくる。いつも鳥かごから部屋に放つと、部屋をまず一周して僕の肩に乗ってきていたように。しかし、シロは僕の目の前まで飛んでくると、そこから急旋回し、まるで私と決別するかのように、再びこの大きな東京の空に飛び立っていったのだった。

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