見出し画像

絵本日記DAY24「ベンジャミン バニーのおはなし/THE TALE OF BENJAMIN BUNNY」

今日は、おとこのこって、どうしてこうなのかしら、とおもわずにはいられない、ふるくてでも普遍の、うつくしい物語のことを書きとめていきます。

1、石井桃子さんについて

ピーターラビットシリーズの翻訳は、石井桃子さんという翻訳家、児童文学作家により織りなされています。石井桃子氏による功績はたいへんに大きく、『プー横丁にたった家』『うさこちゃんシリーズ』、『たのしい川べ(岩波少年文庫)』など数々の名作は、私などが言及するまでもありませんが、日本の宝物です。

石井桃子氏は、101歳という年齢で大往生を遂げるまで、生涯現役だったということです。荻窪の自宅に「かつら文庫」という私設図書館をひらき、子どもたちに児童文学への世界をひらいたほか、松井直氏や中川李枝子氏(ぐりとぐらやトトロの歌の作詞でおなじみの)、渡辺茂男氏など名だたる人びとの若かりし頃に、ともに研究会を発足し児童文学普及のための活動に尽力された。かつら文庫という家庭文庫を過渡的なものとし、のちにそれは現在の公共財団法人東京子ども図書館として、その血筋は引き継がれます。

中野の住宅街の一角にある茶色いレンガづくりのそこへは、数年前はじめて東京の住宅地をバスにゆられて、道に迷いながら、訪れたことがあります。

図書館内を案内してくださった司書の方が、私が岩手から訪ねたことを伝えると、震災のあと岩手県陸前高田市にある「ちいさいおうち」という子ども図書館の立ち上げに携わっていたというお話を聞かせてくださいました。暖炉のある、それだけでもわくわくするおはなしの部屋があり、子どもでなくとも毎日通いたくなるような、まるで家のようなあたたかな図書館でした。その時、先出の荻窪のかつら文庫には開設の曜日があわなくて行けずじまいになっているので、ふたたび東京子ども図書館とあわせて訪れることができる日が来ることを、切に願っています。


それから石井桃子氏は47歳のとき、欧米にくらべて貧弱だった日本の子どもの本をめぐる環境をかえるため、留学をしたというのです。

「留学により得たものは多く、人生の折り返し地点を迎えたこの時から本格的に桃子の児童文学に関する活動は始まったと言っても過言ではない」(ちくま評伝シリーズ:石井桃子より抜粋)

石井桃子氏のことを調べていた当時の私のメモは2018.4.21、「情熱があれば、なにかを成し遂げたいというつよいものがあれば、何歳からでもけっしておそくはないということを、生涯をとおして実際に証明してくれた女性だ。26歳のとき犬養毅の家でくまのプーの原書に出逢ったのも、人柄と仕事ぶりが評価されて書庫整理を任されたからだった」と記してありました。

児童文学・絵本界の神様のような瀬田貞治氏や、前出の渡辺茂男氏、そして石井桃子氏の作品や翻訳したものが今も尚、時空も時代もゆうゆうと飛びこえて子どもたちに読まれつづけているのは、そのにほんごが、うつくしいからにほかなりません。うつくしいにほんごに耳をひたして育つことは、うつくしいにほんごをはなすことができるという、その可能性を秘めていて、とても素敵なことだと私はかんがえています。


2、ベンジャミンとピーターの対比について

それではここから、本題の物語を読みすすめていきます。今回は、原書の英語と、石井桃子氏の訳と、私のナードな深読みをごちゃまぜにして、物語をむしゃむしゃと味わうきっかけにしてくださればうれしいです。

この物語は、「ピーターラビットのおはなし」というシリーズの中ではおそらくもっとも有名なおはなしと繋がっています。

「ピーターラビットのおはなし」では、いたずらっこのピーターが、おとうさんを肉のパイにしてしまったというおそろしい人間のマクレガーさんの畑に忍びこみ、もはやこれまで、という経験をして命からがら逃げ帰ってくる、という冒険物語です。

今日紹介する「ベンジャミン バニーのおはなし」のベンジャミンは、彼のいとこです。セーターを畑の柵にひっかけて失くしてきたピーター、ハンカチーフにくるまって元気のない様子の挿絵から、大冒険ショック症候群が未だ続いていることが読みとれます。そこへいとこのベンジャミンが遊びにやってきて、彼をみるなり

”Who has got your clothes?"

「だれにふくをとられたの?」と、訊くわけです。しかも"in a whisper,"(ささやきごえで)です。ピーターの様子をみて、風邪でもひいたのかしらんなどとは毛頭思わず、瞬時に冒険のにおいを嗅ぎ分けるなんて、このウサギくんはなんと鼻がいいのでしょう。

そして彼にいうのです。さっきじぶんはマクレガー夫妻が馬車に乗って出かけていくのを目撃した。しかもマクレガーのおくさんは、”her best bonnet"をかぶっていたから、丸一日は、だいじょうぶだ、と。石井氏はここを”よそゆきのボンネット”と訳していて、こういうこまかな言葉えらびが、うつくしい。

いとこの言葉に、ピーターは、

”Peter said he hoped that it would rain."

そんならきょうは、雨がふればいいのに、と。

ここで、私の深読みがはじまります。

もちろんピーターは、つんとすましてふとったマクレガーのおくさんの(彼女の挿絵はありません、私の想像です)、とっておきのおしゃれボンネットがどしゃぶりにでもあってびしゃびしゃになってしまえばいい、と考えたことにまちがいはないでしょう。だって、おとうさんを肉のパイにしてしまったにんげんどもに対して、これくらいのことを願ったって、罰などあたるはずがありませんもの。

でも、それだけかしら、とも思うのです。

数日前なのかそれともたったきのうのことなのか、例の畑でおそろしい体験をしてきたばかりなのに、いとこのベンジャミンときたら「そのセーターをとり返しにいこうぜ」となどど、ささやいてくるのです。さらに危険が増すばかりの冒険のにおいに、さすがのピーターも、雨が降ればいい、など口走ったのではないかしら、と。

それでも、よほどその薬が嫌いなのか、弟にカモミールをつんできておくれ、というおかあさんの声がきこえると、「さんぽにでも出かけたほうが気分が良くなるかもしれない。」と、出かけていくことにするのです。

ああ、これだから、おとこのこって、と大人で女の私は思ってしまうけれど、子どもだったら、ここで、拍手喝采するのかもしれません。こころのなかで。いいぞいいぞ、そうこなくっちゃ、と。

でもところが次の場面で、しっかりと手を繋いで畑にむかう、ベンジャミンとピーター。ふふ、なんと愛おしい勇者たち。

ここから物語はテンポよく、怖いもの知らず、しかも日曜日にはいつもおとうさんとレタスを頂戴しに畑にきているというベンジャミンと(さすが親子の血は争えまないということでしょうか)、びくびくしながら、おそらく手も震えているのか、失敬しようとした玉ねぎもぼろぼろ落としながら歩く、というピーターとの対比がおもしろく展開されていきます。

Peter did not seem to be enjoyed himself:he kept hearing noises.

Benjamin,on the contrary,was perfectly at home,and eat a lettuce leaf.

”He said he should like to go home,”家にかえりたい、物音が聞こえる気がする、と終始びくびくしているピーターと、すっかりくつろいでレタスまでつまみぐいしているベンジャミン。完全に本日の隊長、リーダーは、ベンジャミンです。

そして誰もがのぞんでいなかったこと、それと同時におんなじくらいのぞんでいたであろうおそろしいことが、やっぱり畑では起こってしまうのでした。


一人のにんげんにもおそらくベンジャミンとピーターの要素があって、それを絵本のなかでハラハラと感じとることができるのは、作者のビアトリクスポターのうまいところです。冒険に欠かせない要素であるスリルや葛藤が、ゆるやかなはじまりから段々と速度と音量を上げて、ピークに到達する。そしてそれはきちんと、おだやかな安心へと戻っていく。その王道の曲線に忠実ということは、おそらくベストセラーの条件なのだと思います。

「ピーターラビットのおはなし」も、「ベンジャミンバニーのおはなし」も、読みおわると、なんだかどっと、つかれます。

それはまちがいなく、ポターのうみだす巧みなキャラクターと、石井氏の名訳により、わたしたちはウサギ側になって、畑を歩きまわっているから、です。

ひっそりと息を潜めて、あるいは時々息をとめてしまっているかもしれない、猫の横を通り過ぎなければならなかったり鋤をふりまわすマクレガーさんに追われたりしたからです。

そしてこれは、食後のハーブティーのようなお話しになりますが、ピーターのおかあさんは、生きる智慧をもった、たくましくつよい母親です。女手一人、じゃない一匹で、マフラーなどを編んで生計をたて、このやんちゃなピーターを含めた四匹兄弟を育てています。そしてうさぎたばこ、というもの(これはわたしたちがらべんだー、とよんでいるもの)や、カミツレを煎じて腹痛にくるしむいたずら息子にのませてやったりしています。今回の冒険の戦利品ともいうべきマクレガーさんの畑のたまねぎも、しっかり天井からぶらさげてくれます。

こういった今でいうフィトテラピーの知識ももっているあたたかい母親像も、イギリスならではの物語だなぁと、魔女などが好きな私は、にんまりせずにはいられません。

3、おわりに おもしろがる、ということ

この物語がなぜ、おもしろいのか。その肝は、作者のビアトリクスポター、ならびに、訳者の石井桃子さんが、この性懲りもない愛おしいおとこのこたちを、「おもしろがっているから」、です。

テキストの横に添えられた、漫画のようではなく、そのどうぶつはそれらしく、きちんと鋭い目つきや、ふさふさの毛並みが描かれている挿絵。それでもまるまった背中や細めた目からは、憎めない愛らしさが感じとれるのだからふしぎです。そしてかれらを、二人の女性はまるでおかあさんのように、「あれまあ。しかたがないわね」とかろやかにかわしながらやさしい笑みをうかべていることが、その挿絵や文面から伝わってくるのです。

わたしたちおとなが、子どもといういきものを相手にたのしく向きあおうと思ったら、「おもしろがる」意外に、私は方法を知りません。

これまで私はまる10年、保育現場ではたらいてきましたが、はっきり言って、面白がることができなければ、続けることなどできなかったと思っています。

20人ほどのちびっこたちがいっぺんに一部屋にいて、全員を隈なくみようと眼を光らせ、何人もの話を同時に聞きそのたびにこれじゃあまるで聖徳太子だわと思い、そのそばでおもらしをしてなお知らんふりしながらあそんでいる子、ママにあいたいと泣く子、その舞舜を愛おしむには、「はっはっは!!」とのりこえる以外に、いったいどうするというのでしょう。大家族のおかあさんが明るくたくましいのは、それが、生きる術だからだと私は思います。この世にうまれてきてくれたこどもたちと、人生を豊かに、おもしろく生きていくための。


「そんなら、きょうは、あめでもふればいい」。

ピーターのこのひとことににやりとすることが、この物語のおいしいところ、なのではないかと思っています。


ベンジャミンバニーのおはなし ビアトリクス•ポター作・絵 いしいももこ訳

1971年11月1日発行 株式会社福音館書店



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?