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モニュメントバレーとグランドキャニオン

アメリカ西部 バイク旅 5

最初に
長文です。興味あるパートがありましたら、目次から飛んでください。

モニュメントバレーとナバホ族

 モニュメントバレーは、あの有名なウェイン・マクラーレンが暴れ馬を乗りこなす、マルボロのCMの舞台となった場所です。また、チャールズ・ブロンソンもここで「う~む、マンダム」と唸りました。
 写真は、右からメリックビュート、ミットの形をしたライトミトン、レフトミトンが見えるビジターセンタ^からの景色です。ライトミトンのミトンとは、親指以外の4本指が一緒になった手袋のことです。ともに親指みたいな岩が見えます。

ビジターセンターから

 ユタ州との州境のアリゾナ州北東部にあるモニュメント・バレーには、今でもアメリカ先住民のナバホ族が住んでいます。
 自然環境が厳しい一方、アメリカ各地からの観光客をひきつける美しい景観が広がる場所です。
 1921年にHarry Gouldings(ハリー・グールディングス)がナバホ族との交易や観光を生業にしながら、ナバホ族の芸術を世に紹介しするとともに、経済的に自立できるよう、ロッジと空港を作り働ける場所もつくりました。しかし、1930年の大恐慌で彼の活動は危機に追い込まれます。

トーテムポール

 そこで、あのハリウッドが西部劇のロケ地を探していると聞いた彼は、ピンチを切り抜けようと単身ハリウッドにのりこんで、映画監督のジョン・フォードに交渉しました。
 その結果、映画「駅馬車」がモニュメント・バレーで撮影され、地元のナバホ族は映画に登場するコマンチ族として出演することになります。その後は「黄色いリボン」「荒野の決闘」「アパッチ砦」に代表される名画ヒットして、ロケ地として有名になっていきました。最近でも、2001年宇宙の旅、イージー・ライダー、バック・トゥ・ザ・フューチャー3、フォレスト・ガンプなどの舞台としても有名なロケ地です。

 モニュメントバレーは国立公園ではなく、ナバホ保留区の中にある、
Monument Valley Navajo Trival Park(モニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パーク)と呼ばれる、ナバホ族(Ttival)が管理して一般に公開しているエリアです。
 合衆国政府は、何度もこの地の国立公園指定を申し入れたのですが、ナバホ族は妥協しませんでした。
 国立公園として管理され、保護されて生きるのではなく、自分たちの手で生きることを選択した、誇り高い人々が住んでいるからこそ、この地はアメリカの原風景として、今も輝いているのだ思います。

バレードライブで車がスタック

バレードライブ

 モニュメントバレーは、高さが1,000フィート(300m)の赤い巨大な岩(メサとビュート)が、赤い大地に無数にそびえています。
 メサとはスペイン語でテーブルという意味で、堆積した砂岩の地層が周囲を侵食されテーブル状になって残った台形の巨岩で、ビュートとはメサの侵食が進んで台地面の直径が高さよりも小さくなった残丘です。

モニュメントバレーのマップ

 公園内には、見どころを結んでいる一周約27kmのバレー・ドライブがあって、入園料(2017現在は車一台につき20ドル)を払えば車で乗り入れられるので、バイクで走ることができました。

 写真のジョン・フォード・ポイントは、ジョン・フォード監督が好んでロケ地にした場所で、広々とした荒野に点在するビュートの風景や、スリー・シスターズと呼ばれる三本の奇岩の眺めが見事です。

ホーガン(ナバホ族の住居)

 写真の土でできたかまくらの様な建物はナバホ族の伝統的な住居ホーガンで、真上に煙突があり、朝に太陽の光を取り込むために東向きに入口があります。
 室内に入ると10畳位の広さで、内壁は丸太をキッチリ積み上げ釘は1本も使わず半球の型をしてあります。ドアの左が男性が、右は女性の寝るところで家の中は時計回りに回る決まりがあるそうです。ナバホ族のおじさんが運転するクルマで廻るツアーもあります。これだと個人では行けない見所も見せてもらえます。クルマは4DWじゃないので、舗装してない砂の道で何度かタイヤをハマらせてしまっていました。

ホーガンの室内

 モニュメントバレーに2時間以上滞在し、最寄りのホテルがあるkayentaまで30分バイクを走らせました。
 Holiday Inn, Kayenta(Kayenta, AZ 86033)にチェックインしたのは夜の8時。
 カエンタはUS(国道)60号と163号のジャンクションにあって、ホテルが整っています。この日わたしが泊まったのは、ホテルチェーンのホリデイインですが、2階建てのモーテルが100室ほどあって、フロント棟にはレストランやプールもあります。

グランドキャニオンの谷底は先カンブリアの古い地層

 翌日の1992年10月19日の朝、もう一度モニュメントバレーを見にいってから、160号線を走りCawSprings 、Tonaleaを経由して数時間でCameronを通過して、午後にはGrandCanyon(グランドキャニオン)の到着しました。まずは一番の見どころ、デザートビューです。

デザートビュー

 グランド・キャニオンは、コロラド高原が長い時間をかけてコロラド川に削り出してできた、幅約6〜29km、深さは平均1200mの巨大な渓谷です。
 グランドキャニオンのすごいところは、雄大な景観だけでなく、先カンブリア時代からペルム紀までの、地球の歴史と言える岩が露出している、世界で最も化石が発見されている場所のひとつであるところです。
 一番古いものは20億年前に堆積した地層で、細菌やバクテリア、原核生物しか生物がいなかった地球上に、それらの中のいくつかのが融合、細胞内共生して大型の細胞を持つ真核生物が現れた時代です。

サウスリムの崖

 谷底を流れるコロラド川は、今日も少しずつ、100年で2cmのスピードで大地を削りつづけています。
 この日は、サウスリムにあるKachina Lodge(10 Albright Avenue, Grand Canyon National Park, AZ 86023)で泊まりました。

デザートビューの観光客

ルート66の面影の残るハイウェイ

 10月20日、グランドキャニオンを出発、WilliamsからIH40号(インターステートハイウェイ:州間高速道路)に合流します。ここからロサンゼルスまではひたすらIH40号を走ります。Seligmanを経て夕方にはKingmanに到着しました。この日はTravelodge KINGMAN(86401 Kingman 3275 East Andy Devine)に宿泊。

 10月21日、KingmanからYuccaを経てTopockに、ここでコロラド川を渡るとアリゾナ州からカリフォルニア州に突入。カリフォルニア州最初の街はNeedles、ここは映画「イージーライダー」の冒頭のシーンでカリフォルニア州からアリゾナ州に入る時に登場する街です。
 その後、Ludlowを経て、ロサンゼルス郊外のBurstow(バーストゥー)まで来ました。このあたりのIH40号は、かつてのルート66(シカゴと、カリフォルニア:サンタモニカを結んでいた全長3,755㎞の旧国道。1985年に廃線)の跡地を走っています。その後、VictorVille~SanVernardinoを通過して、LosAngelesに無事戻ってきました。

ロスアンゼルスに帰還

 10月22日は予備日だったので、バイクでロサンゼルスを回りました、まずUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に。広大な敷地に石づくりの校舎。大学内には売店もあります。

 次にCountyMuseumに行きました。美術には造詣がほぼない私ですが、ここは9つの建物があり展示品は10万点を超えるそうです。そのうちの一つ、Pavilion for Japanese Art では北斎の版画の展示コーナーがあって、日本ではあまり知られていない新鮮な絵が多くありました。  
 その日のうちにバイクを返却し、翌10月23日のお昼にLosAngeles国際空港から機中の人になりました。

 トランジットの韓国ソウルに着いたのは24日の夕方。ラマダオリンピア(112-5, Samsung-Dong, Kangnam-Gu, Seoul, 135-090, SOUTH KOREA)に泊まり、25日の朝ソウル発、午後名古屋空港着に到着。ほぼ半月ぶりに日本に帰ってきました。
 いまおもえば、自身も家族も健康だったからできたことであり、あらためて健康に感謝だと思います。じゃあ、そうではない時に、どう考えてどう行動すべきか、それは常に考えているべきなのかなと、改めて気づきました。
 米西部バイク旅のシリーズは、これで完結です。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。

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