命日まで一緒? どこまで仲良いの? 寺山さんと唐さん。その1
今年の5月。唐十郎さんの訃報を目にした。
「えっ!?」
まさか。確かめるために、その記事を詳しく読んだ。
「やっぱりだ」
亡くなったのは、5月4日。ライバルでもあり、盟友でもあった寺山修司氏と同じ日に天国へと旅立ってしまったのだ。
「そこまで仲良くしなくてもねぇ・・・」
365ないし366分の一の確率ですよ。狙おうと言ってもなかなかできない。
私は、ため息をつき、また一つの時代が幕を下ろした音を聞いた。
2人は、本当に面白い関係だったと思う。
まず寺山さんの劇団天井桟敷の旗揚げ公演の時に唐さんが中古の花を贈った。そのリベンジとして、今度は唐さんの状況劇場の芝居初日に、寺山さんが葬式用の花輪を贈った。
怒った唐さんは劇団員と共に、寺山さんの所に殴り込み大乱闘。逮捕者まで出たりした。
さすがにその事件、私はリアルタイムでは知らないけれど、寺山さんが亡くなる1983年以前の数年間、天井桟敷の公演の何本かには間に合った。
最初に観たのは、1979年に制定された国際児童年にちなんだ作品。原宿の岸体育館で上演された。
細かいことは覚えていないし、今調べてもわからないのだけれど、子どものグループがパンにまつわる事件を解決するようなストーリーだったと思う。
体育館なので、中央を舞台にして、観客はそれをぐるりと囲む形。座席は桟敷というより体育館だけに体育座り、という感じだった。入ろうとすると、入り口で、黒いマスク(目と鼻だけ穴が開いていてアメリカの差別団体が白色でよく被っている三角形のやつ)を渡され、被って観劇するように言われる。
今なら面白がれるけれど、当時はまだ10代。頼みこんで一緒に行ってもらった友達の方が覚悟を決めて先に被ったので、私も従ったけれど、その時点で内心パニックだった。
怖い。
だいたい私は、寺山さんのことを文章から知ったので、演劇に関してはあまり心の準備はできていなかった。ただ、少ないお小遣いを貯めて買った天井桟敷の写真集は、やはり全裸の人や今で言うヴィジュアル系のメイクをした人がたくさん写っていたので、たぶん普通の演劇とは違うんだろうな、ということはうっすらと理解はしていた。
芝居が始まると、これまた驚くことに中央に置かれたパンがどんどんと成長して大きくなっていく。ということは、だんだんとパンに視界を遮られて、舞台の半分ほどが見えなくなってしまうのだ。