「骨と軽蔑」を観た後に、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏に思いをはせる その2
ここで小林一三さんの話をしよう。
さらに時を遡り、1980年の春のこと。
無事に大学受験を終えた私は友人と2人で、前から行きたかった渋谷「ワルツ」というお店に出かけた。「ワルツ」と言うのは、遠藤賢司さんがやっていたカレーのお店。ただのカレーではない。ピラミッドカレーだ。
四角錐の型にご飯を詰めてパカッとひっくり返したピラミッドを(中に小さい青梅内蔵)ちょっとスパイシーなカレーが海のように取り囲み、四方面に肉や野菜が一つずつ配置されている。肉は、チキンで骨付きだったような。
18歳の少女たちには、ちょっと奮発しなければ食べられないお値段だったけれど、4月からの新しい門出を祝うという口実で、何度もお邪魔した。
友人は、家からカセットテープ(この時点では、CDはまだ発売されていない)を持参して、好きなロックをかけてもらったりしていた。他の人もそうやって音楽を楽しんでいた。遠藤賢司さんのお店だけあって、音楽好きが集っていた。
喫茶店によく置いてある落書きノートみたいなものが、何冊もあった。大学ノートのような体裁ではなくて、分厚く書きごたえのある無地のノートだったと思う。たぶん一冊は100ページくらいあったのではないか。
過去分も閲覧可能で、カラーボックスに収納されているノートを片っ端から読むのが、私たちの楽しみになっていた。
私たちは、高校3年間ずっと仲が良くて、4月からは別々の大学にいくことが決まっていたけれど、それまでは頻繁に会っていたものだから積もる話などなく、ノートに没頭することができたのだと思う。
これが年を重ね、久々の再会という状況だったらマシンガントークが炸裂し、ノートに目を向けている暇はなかっただろう。
そのうちノートに小林一三という人が何度も登場してくることに気づいた。哲学的なこと、音楽のことなどを、何ページにも渡ってしたためている。
その文章が熱くて、難しいことをとても分かりやすく書いているので、長くてもすーっと頭に入ってきた。私たちは、すっかり小林一三さんのファンになり、何十冊もあるノートの中から、一三さんの足跡を探した。
少しずつデータが集まっていく。どうやら私たちより一つ年下らしい。音楽をやっているらしい。
ずっとワルツにいれば、いつか一三さんに会えるのでは? と淡い期待を抱いたりした。
当時書いていた日記を抜粋してみる。
「小林一三さん(たぶん年下)という常連の人の落書きノートは、サイコーゆかい。バンド人間らしいけど、イラストがサイコーなの。こんなふうにユニーク」
カタカナの使い方や表現がもう80年代そのものでお恥ずかしいけれど、18歳だったということでお許し願いたい。
「いつもこんなような猫やキリンのイラストが描かれてるの」
という説明と共に、一三さんのタッチを真似して描いた猫とキリンが描かれていた。
今回は、それをまた模写してみたけれど、たしか「ネコ」と「キリン」はオリジナルもカタカナ表記だったと思う。
小林一三さんて、どんな人なんだろう。
まだ17歳なのに、こんなに難しいことを考えているなんて。もし会えたら、ファンなんですって、伝えちゃおうか?
友人と2人色々妄想するのも楽しかった。
げに若かりし頃。
そのうちに私たちも大学に入学し、それぞれの生活が忙しくなってしまい自然と「ワルツ」から遠のいてしまった。行きたい気持ちはじゅうぶんにあったのだけれど、なかなかスケジュールが合わず、他の友人と何回か行ったりした後、とんとご無沙汰していた。
会いたかった小林一三さんに会えたのは、それから6,7年経った後。
なんと小林一三さんは、ケラだった!!
なぜ私がそれに気がついたかと言うと・・・。
有頂天は一気に人気を博して夜のヒットスタジオに出演することになった。この急展開にびっくりしつつも、私はテレビの前でどきどきして彼らの登場を待った。
他のロック系のバンドが出る時にも感じたことだけれど、テレビ全盛の時代に、王道でもある夜のヒットスタジオに出るとなれば、お茶の間にちゃんと受け入れてもらえるか、緊張せずに歌えるか、など勝手に心配を募らせてしまっていた。
これはファンにはよくある現象。「親戚のおばちゃん」状態と呼ばれている。
当時は、まだまだおばちゃんの域には入ってはいなかったけれど、毛色の違う場所だから、はらはらしつつ、よけいなことを考えてしまうのだろう。
いよいよ有頂天の出番。ケラさんは、司会の古舘伊知郎氏に色々と質問されていた。浅草のお笑いが子どもの頃から好きだったとか、そういう話をしていたと思う。その後、ケラさんが描いたと言うイラストを持参していて、それが画面いっぱいに映しだされた。
ん?
これは?
この猫は?
私の頭の中に、一気に「ワルツ」での日々が甦った。あのノートに描かれていた小林一三さんの猫と同じ。
なぜ?
何度もしつこくて申し訳ないけれど、今のように、
「ケラ 本名 小林一三」
と入力して検索することなど、できないのだ。
「猫の絵があまりにも似ているから、彼が小林一三なのではないか」
という仮説を立て、何かの折に謎が氷解できれば、くらいの気持ちだった。
でも確信はあった。あのケラさんなら、小林一三さんが書いていた諸々のことは、普通に書くだろうと。
それから、どのくらいの年月が流れただろうか。
とは言ってもインターネットが普及する前だったことは確かだったので、5年10年は経過していないはず。
ついに私は、確証を得た。雑誌でケラさんの特集が組まれていて、生年月日などデータを記す囲み記事の中に「本名:小林一三」という文字を見つけたのだ。
やっと、会えた。
というか、すでに会っていた。
自信はあったとはいえ、やっぱり嬉しかった。
そして。
猫の絵一つでここまで紐づけしてしまう自分にも呆れるけれど、今では「ワルツ」も閉店し、遠藤賢司さんも天国に行ってしまったわけで、この一連のことは、とても大切なできごとでもある。
あの落書きノートは、閉店後どうなったのだろう。きっと貴重な記録がたくさん書きこまれていると思われる。
「骨と軽蔑」は、まるでカットアウトするかのように、突然の暗転で幕を閉じる。
そして素に戻った女優さんたちが一礼してステージ裏へ。拍手は続き、カーテンコールをねだっている。ほどなくして、7人がもう一度現れ、客性の隅々まで眺め、お辞儀をして去って行った。
そうしてすぐさま客電がつき、アナウンスが始まる。もう一度拍手を大きくして演者を呼び出そうとしても不可能な雰囲気が漂い、皆様あきらめ気味にコートをはおり出口へと急ぐ。
これは私の勝手な推測だけれど、ケラさんはスタンディングオベーションを避けているのではないか。今まで観たどの作品もなんとなくスタンディングオベーションに持って行けない状況に誘導しているような気がする。
それでもSNSを見ると立って拍手した、という人の感想もあるので立とうと思えばもちろん立つこともできるだろうけれど。
もしかしたら、お決まりのスタンディングオベーションは無意味だと思っているのかもしれない。それは、大いに一理ある。
別の劇団の芝居を観に行った時、偶然斜め後ろにケラさんがお客として座っていた。その芝居は逆に皆様立ちあがって拍手がしやすいような演出がされていて、3回か4回くらい演者がステージに戻って来た。
ケラさん、立っていなかった。
決して面白くなかったわけではないのだろうけれど、反抗的に絶対立たないぞと思っていたわけでもないけれど、それが主義なのかもしれない。なんでもかんでも立てば良いってもんではない、という気持ち? その気持ちもわかる。
間違っていたら、すみません。
ただ今回の流れでちょっとだけ、
「やっぱり・・・」
と思った私。
立たずとも、じゅうぶんに楽しかった思いは伝えることができるのだから。
いつも思うのだけれど、劇場に出向くともう次の芝居のチラシができあがっていて、驚く。
流行り病のため、やむを得ないブランクはあったにせよ、こんなに続けて次の作品を観られることは、本当にありがたい。
今までケラさんの芝居に触れて来なかった年月を惜しみつつ、これからは一作品たりとも見逃すまいと、決意新たにチケットの発売日をリマインドする私なのだった。
小林一三さんと先に出会ってから40数年あまり、ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏は今も私をこんなにも楽しませてくれる。