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自由を生きる京都の友人

いつも語るように、京都の友人はミステリアスな人だ。

群れるのを好まず、ふらりとやって来て突如いなくなる。

"THE和"なものを好むくせに、時折、「フランスのクロカンブッシュを買いに行って、アメリカンコーヒー飲んだわ」と洋物の話が飛び出してくると「え、どうしたの、何かあったの!?」と聞き返してしまうぐらい、この人はとにかく掴みどころがなく、何だかわからない。

そんな感じの人だから、私は未だに京都の友人をよく知らない。
多分、知らない方が良いのかもしれないが(笑)


ただ、いつもはんなりしているこの友人が児童虐待や動物虐待の報道を見ると、「まったく、何やねん! とんでもない奴や、地獄に落ちたれ!」と珍しく怒りを露わにする。
通学中の小学生、散歩中の野良猫にも「ごきげんよう、ええ天気やなぁ」と声を掛けるこの人にとって、弱き存在を虐げる人は勘弁ならないのだ。

「〇〇ちゃん(京都の友人のこと)って、よく子供の虐待とか動物虐待のことで怒っていたりするけど、それ以外のことで怒ることあるの?」


素朴な疑問を投げかけた。
とにかく何というか、この友人はいつも、いかなる時でもテンションが変わらない。
私の祖母が亡くなった時も早朝にも関わらず、喪服から葬儀のこと、喪中における神棚仏壇に対する作法などを細かく指示を送ってくれて、茫然自失の母に「大丈夫や、おばあちゃんはママの隣に寄り添っているで。肉体が死んだからと言って、魂は終わりやないんやから。ずっとそばにおるねん」とその不思議な力で混乱する我が家族をすっと落ち着かせてくれた。
私情に振り回されない凛とした人だからこそ、尚のことミステリアスに見えるのだが。

「そりゃ怒ることあるで」
「たとえば?どんな時?」
「何かよくわからへんことでぎゃあぎゃあ捲し立てて無理強いしようとしてくる輩。あれは無理やなぁ」

確かに、我が道を行くこの友人が自分のペースを掻き乱すような存在と遭遇したら怒り出しそうな気がする。

「で、そういう時どうするの?」
「そういう時は、『そない言いたいことあるねんやったら、事務所通してからこっちに話上げてきてや』と言って、名刺を渡す」
「名刺!?」
「懇意にしてる弁護士事務所の。それ渡しとけば喧嘩売ってきぃへんやろ」

少しポイントのズレた、いかにもこの友人らしい回答だ。

「自分のご機嫌を自分でとれへんで、感情に支配されて周りを巻き込む人は好きやないねん。要するに、勝手にトイレに入って、人に尻を拭いてくれと頼んでるようなもんやろ」
「何その例え」
「自分のご機嫌を自分で上手にとれる人が人生上手くいく人なんや。よく遊びよく仕事する人は出世するやろ? そないイメージ」

自分で自分のご機嫌をとると言うことを考えたことのなかった私にとっては目から鱗だった。私はちゃんと自分のご機嫌取れてるのだろうか。

「じゃぁ、〇〇ちゃんはどう自分のご機嫌とってるの?」
「せやなぁ、大抵は寝る」
「寝る!?」
「細かいことは寝ながら考える」

寝ながら考えるというのが、飄々とした空気のこの人らしい。
でも、本当に寝ながら考えてそうな人だから、発言に真実味があるのだけど。


子供の頃、何かの動物記で、人間に捕らえられそうになって自分から死を選んだ野生の馬の話を読んだことがある。

何ものにも囚われない自由な生き様、魂の気高さ。

その馬のことを考える時、何故か京都の友人が浮かぶ。

だから、この友人はミステリアスでいいのだと思う。
掴みどころがなくて、何ものにも囚われないからこそ、この人は美しく輝いているのだから。

(完)


この度はサポートして頂き、誠にありがとうございます。 皆様からの温かいサポートを胸に、心に残る作品の数々を生み出すことができたらと思っています。