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無理して笑わなくてもいい、そんな自分も好きになる。

「日本人は『笑顔大事』とか『いい笑顔で』とかよく言うんですけど、笑顔じゃないとダメなんですか」

とある日、バラエティ番組を一緒に見ていたイギリス人の友人が唐突にそんなことを言いはじめた。

「笑顔か。笑顔ねぇ」

私は咄嗟にどう返して良いのかわからず、何故か一人で笑顔笑顔と連呼していた。
確かに職場や知人、身内のなかでも「笑顔忘れないで」とか、子供に「ほら、明るく笑って!」と言っている人がいたのはわかっていたが、今まで自分の中でとりわけて"笑顔"についてフォーカスしていなかったのが正直なところだった。なので、異文化で育ってきたイギリス人の友人に改めてそのように指摘されてハッとするものがあったのだ。

中学生の時に、学校生活が辛くて校内のカウンセラーに相談したことがあった。
あまりに辛過ぎて、「もう学校辞めたいんです」と私にしては珍しく泣いたところ、そのカウンセラーは「笑顔でいなくちゃ駄目よ」と私を諭した。その時、私は思った。今、笑顔を作れるメンタルじゃないんだけど、と。

笑顔でいることって、そんなに大事なことなのだろうか。
イギリス人の友人の疑問は、ついぞ私にまで飛び火してしまったようだ。

「確かにそうね。〇〇ちゃん(イギリス人の友人のこと)の言う通り、スポーツの試合中にも『ほら笑顔!』と言っているコーチもいるし。でも試合中に笑顔とか気にしていられないと思うのよ、私だったら」
「そうなんですよ。私も真顔で仕事していたら怖いと言われて、笑って笑ってと言われたんです。でも、本心の笑みならいいけれど、無理して笑顔を作るのも大変だと思うんです。辛くなるだけです」

建築の専門学校時代に「辛い時ほど笑うのよ」と言って困難にぶち当たっても微笑んでいた同級生がいたが、辛い時に無理して笑うのと、無理して笑顔を作らないでいることは、はたしてどちらがメンタルにとってプラスの作用をするのだろうか。恐らく、それは人それぞれだとは思うのだが、重要なのは自分の心に嘘をつかないで生きるかということなのかもしれない。

世の中には母のように箸が転がってもお腹を抱えて笑っているような笑い上戸の人もいれば、私や祖母のように感情の起伏が乏しく何においてもポーカーフェイスなタイプもいる。と言っても、どちらも自分の心に従って感情を出しているわけで、どちらか一方が正しいとか間違っているというわけではない。でも、笑顔でいられなかったからといって悪い人になった訳じゃない。それぞれ、自分の心に従ったということなのだから。

私はもう無理をしたくない。
三十歳で身内からの辛辣な言葉を切っ掛けに体調を壊して、現在進行形で健康問題に悩み、今までの自分の生き方を変えなくてはいけない状況に陥った。自分の心に有害と思ったものを只管に切り捨てていき、心身が楽になっていったら自然と穏やかな表情をする日が増えた。

幸せは自分次第。
別に無理して笑わなくても、私はポーカーフェイスの下で幸せを感じることができているし、そんな喜怒哀楽のない自分も好きだ。

『自分を愛することを忘れないで下さい』

キルケゴールがそんな言葉を残しているが、人生で大事なことはどんな自分でも愛すること。ありのままの自分を受け入れて、愛していこう。


~おまけ~

「嫌だわ、〇〇ちゃん(イギリス人の友人のこと)!髪がドキンちゃんみたいになってる!あはははははは」

笑顔について真剣に話し合っていた空気を破ったのは突然の母の笑い声。ビックリして振り返れば、涙を流しながら母がゲラゲラと笑っていた。

「髪? 」

隣にいたイギリス人の友人の髪を見れば、後頭部のクリンした毛束がドキンちゃんみたいに何故か飛び出していた。だからと言って、涙を流すほどに面白い話ではない。多分、セットし忘れただけのただの寝ぐせか、セットミスで跳ね上がった髪だ。

「え、eveママどうしたんですか?それにドキンちゃんって何ですか?」
「気にしないで。あなたの寝癖が母のいつもの笑いのツボにハマったんでしょう」

この母はきっと、私が母のお腹の中にいた時に"笑い上戸"の感性を譲ってくれなかったのではないかと思う。おかげで私は、「あなたのお母さんって、あなたと違っていつも笑ってるよね」と、よく言われるのだけど。


2024年6月26日

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