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★キャンピングカー生活まであと175日★「日常と非日常」
あした何の日?
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こんにちは。
前回までの記事で『富士山に登った話』を書きました。
富士山を登る経験と、山の上から見た景色は普段の日常とは一線を画した世界でした。
富士山から見るご来光は私の人生の中でも、かなり衝撃的なランドスケープで、見ただけで「心が浄化される」「世界に比べて自分がいかに小さい存在かを知る」「自分はこの世界で何をしたいのか」など色々と考えさせられるものでした。
通常の旅行・観光では味わえない壮大さに「日常」って何だろう?何のためにあるんだろう?と思わず考えてしまったんです。
家に帰ってからも「あー、楽しかった!」だけで終わらない何かがありました。
それは一時の満足感ではなく、自らの人生史に残るような刺激の強い出来事だったからかもしれません。
日常とは
富士山に登ったあの日は間違いなく「非日常」でした。日常に非ざるものが非日常です。
ならば日常とはどういうものなのでしょうか?
私が想像する日常とあなたが想像する日常は必ずしも同じとは限りません。
毎朝起きて職場に向かい、ヘロヘロで帰ってきて家で缶ビールを開けるのが日常の人もいれば、
仕事をしなくても最高級ホテルで目を覚まし、そのまま海外に直行してバカンスをするのが日常の人だっているはずです。
富士山に登った私が非日常と感じたのも、山小屋で働くスタッフの人からすれば日常なのかもしれません。
つまり人それぞれ日常の基準や定義が違います。
だけど必ずその人にとっての日常が存在します。
中身は違っても根本的な原理は変わらないのでしょう。
普通に何も考えずに日常を過ごすことは、ひどく退屈だと感じます。
逆に考えれば自分が日常(=刺激がないこと、慣れきったこと、楽しくないこと)と感じることを非日常だと感じる人がいる。
それがカルチャーショックのようなものなのかもしれませんね。
人間とはワガママな生き物で、現状維持を望んでいるくせに刺激を求めるものです。刺激を受けたと思えば今度は慣れたり怠けたりします。
だからこそ、意識的に非日常を取り入れて刺激を与えてあげることが、日常を上手に生きるコツなのかもしれません。
日常の中に非日常
日常って何のためにあるんだろう?
と考える必要もなく日常はすでに存在します。
だから着目すべきは非日常かもしれません。
しかしそれは自分が何かアクションしないと得られないもの。
たとえば週末もずっと家で同じゲームばかりするのは、私の性に合いません。だから大体外に出かけています。
外食は好きですが、常に新しい店を探して食べるようにしているし、今まで行った店に再度行くことは殆どありません。
仕事でも些細なことでも何かやり方を変えてみるとか、可能なら働く場所を変えてみるとか、何かしら「変化」を取り入れることが大事だと思います。
規模は小さくても、それがある意味「非日常」。
古いガソリンが溜まっている日常という車に、一手間かけた新鮮なガソリン(=非日常)を注いであげることで、より長く、より力強く走れるような気がします。
最後に、私が夢見る非日常を箇条書きにして、締め括りたいと思います。
・スカイダイビングをする
・メディア出演する
・生きてるうちに空いっぱいのオーロラを見る
・本を出版する
それではまた明日。
<<<あと175日>>>
大きく変わる、それが大変
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